奨学寄付金が処方拡大に対する見返りと認定され、小野薬品工業の社員2人が有罪判決を受けた贈収賄事件。本来、学術研究の振興を目的に提供される奨学寄付金ですが、どこに落とし穴があったのでしょうか。
「条件次第で全国1位にしてあげるよ」
三重大付属病院の薬剤発注をめぐる汚職事件で、不整脈治療薬「オノアクト」の使用実績を上げる見返りに奨学寄付金200万円を提供したとして、津地裁が6月、小野薬品工業の社員2人に贈賄の罪で有罪判決を下しました。判決を受け、同社は「このような事態を招いてしまったことを厳粛かつ重大に受け止め、改めて深くお詫びします」とのコメントを発表。8月6日には、社外の弁護士らによる調査委員会の報告書を公表するとともに、再発防止策と関係者の処分を発表しました。
奨学寄付金とは、学術研究の振興や研究助成などを目的に、製薬企業が大学医学部などの研究機関併設医療機関に提供する寄付金のこと。支払いは各社が定める手続きに則って行われ、各社は支払い先と金額を年度ごとに公開しています。正規に支払われ、流れも公にされている寄付金が賄賂と認定されたことで、業界には衝撃が広がりました。
小野薬品が公表した外部調査委員会の報告書によると、収賄側の三重大同属病院臨床麻酔部元教授(第三者供賄などの罪で公判中)は、2016年4月に准教授として同病院に赴任し、18年4月に教授に昇進。この頃、元教授と接触の機会を増やしていたのが、当時同病院を担当し、のちに贈賄罪に問われることになる三重営業所三重病診二課長(以下、A課長)でした。製品説明会などを通じて元教授と関わるようになったA課長は、17年12月ごろ、元教授からオノアクトの販売増加に資する意欲があることや、研究費が不足していることを聞かされ、奨学寄付金の提供を求められるようになったといいます。
「大量処方先へ変えるチャンス」
これをビジネスチャンスと考えたA課長は、上司である三重営業所長と、ともに贈賄罪で有罪判決を受けることになるプライマリー統括部中部営業部長(以下、B部長)に、奨学寄付金を提供すればオノアクトの販売実績が上がる見込みがあることを伝えました。B部長は、通常ならその年度の寄付金枠はすでに埋まっている時期だったことから一旦は難色を示しましたが、17年12月末に開かれた全国営業部長会議で「本社の寄付金枠が余っている」と聞かされ、A課長に寄付の必要性を本社に訴えるレポートの作成を指示。A課長らの申請は社内審査を通過し、年度末が迫った18年3月、三重大名義の口座に200万円が振り込まれました。
「A先生(元教授)から『条件次第では、OA(オノアクト)を全国大学1位にしてあげるよ』と言っていただいています」「三重大学を大量処方先へ変革させる二度と無いチャンスと考えております」(カッコ内は編集部補足)
A課長が作成したレポートには、こんな文言が記載されていました。一方、元教授は寄付金が振り込まれた2日後、臨床麻酔部のスタッフに次のようなメールを送っています。
「なんとか小野はうちの主力になってもらいたいので、オノアクトの使用量全国トップを目指したい」「(使わなくとも)目立たないように増やしていきたい。最終的には上室性不整脈予防と心筋虚血予防ってことで、ICU症例でぶん回したい」「公には話しづらいんで。とにかく研究でのし上がりたいので、背景を理解してうまくやってくれ」(原文ママ)
「グレーゾーンの中で起きた事件」
実際、2018年3月に奨学寄付金が振り込まれて以降、三重大付属病院へのオノアクトの販売は急増しました。小野薬品の外部調査委の報告書によると、17年は上期44万円・下期65万円だった同病院への売り上げは、18年上期106万円・下期139万円、19年上期247万円・下期248万円と急拡大。ただ、納入されたオノアクトの多くは、元教授の部下だった臨床麻酔部准教授(当時。詐欺罪などで有罪判決)によって廃棄され、使用したように見せかけるカルテの改ざんが行われていました。問題が表面化した20年上期には、売り上げは41万円と激減しています。
A課長とB部長は、外部調査委の聞き取り調査に対し、納品したオノアクトが廃棄されたり、カルテが改ざんされていたりしたことは一切知らされておらず、その事実を聞いたときは衝撃を受けた、と語ったといいます。調査委の報告書は「元教授らの不正行為がなければ、事件も発覚せず彼らは罪に問われることもなかったといえ、彼らは元教授らの暴走に巻き込まれた犠牲者という面もないではない」と2人の立場に理解を示す一方、「元教授らの非常識な行為があったにせよ、そして元教授から執拗に奨学寄付金の要請があったとしても、売り上げ増加を見込んで寄付金提供に動いた彼らの行為が正当化されるものではない」と断じています。
問題の背景に、関係者のコンプライアンス意識の欠如があったことは言うまでもありません。A課長やB部長は「寄付の対象となる研究テーマが自社製品と関連してはいけない」との認識は持っていたものの、今回の三重大医学部に対する寄付については何も問題意識を持っていなかったといいます。前述したA課長作成のレポートは、プライマリー製品企画部長ら本社営業部門に共有されましたが、寄付を危ぶむ指摘や制止する動きはありませんでした。
製薬企業が営利を目的とした法人である以上、奨学寄付金は常に処方拡大(=売り上げ増)への見返りとなりうる危険性をはらんでいます。ただ、具体的にどういったやりとりが医師との間で行われれば不当に処方を誘引したと判断されるのか、さらにはそれが賄賂にあたるのかは微妙なところです。小野薬品の外部調査委による聞き取り調査でも「目標金額を出して奨学寄付金の申し込みをするレポートはただちに撤回させるべきだった」という関係者もいれば、通常のMR活動だと思っている人もいたといいます。報告書は「今回の事件はMRにとってグレーゾーンの中で起きた事件であると言っても過言ではない」と指摘。奨学寄付金と取引誘引との関係については、業界全体で検討すべき課題だとしています。
広がる見直しの動き
奨学寄付金をめぐっては、自社製品の臨床研究を行う大学に多額の寄付金を支払っていたことが問題視された「ディオバン事件」以降、見直しの動きが広がっています。ウェブを通じた公募制に切り替える企業が相次いでいるほか、アステラス製薬は19年度で奨学寄付金を廃止し、20年度からはAMED(日本医療研究開発機構)への寄付を開始。武田薬品工業も21年度いっぱいで奨学寄付金による研究支援を廃止する予定です。
医薬品の販売で収益を上げる製薬企業と、研究費の確保に苦慮する大学医学部の間には、もたれ合いの関係が生じやすく、大学病院を担当するMRは両社のはざまで対応に苦労しています。取引誘引にあたるかどうか明確な基準がない中、報告書は「何よりも優先すべきは大学に営業活動を行うMRの負担解消」と指摘。「そうだとすれば、小野薬品自ら拠出するという構図をなくさない限り抜本的解決案を見出すのは困難だ」としています。
小野薬品は、外部調査委の報告書を踏まえ、21年度の奨学寄付は中止し、来年度以降はこれまでと異なる研究助成方法を検討するとしています。奨学寄付という、製薬企業やMRにとって身近な業務に犯罪の落とし穴が存在することを明らかにした今回の事件。寄付のあり方を見直す動きが、今後さらに広がりそうです。