抗体医薬が世界の医薬品市場で売り上げを伸ばす中、新たな技術を活用した次世代の抗体医薬の開発が急ピッチで進んでいます。
中外製薬は、2つの異なる抗原と同時に結合できる抗体を開発し、血友病治療薬として2017年度にも承認申請を行う見通し。1つの抗体が抗原に繰り返し結合できる抗体も、18年度以降の実用化を目指しています。
抗体医薬に低分子の薬剤を結合させ、薬剤を効率的に標的に行き届かせる「薬物抗体複合体」も多くの企業が開発中。抗体医薬で欧米大手に後れをとった日本の製薬企業が、新技術で挽回を狙っています。
2つの抗原に同時に結合…血友病対象に開発進む
中外製薬が開発中の血友病A治療薬「ACE910」(エミシズマブ)が昨年9月、米FDA(食品医薬品局)から「ブレークスルーセラピー」の指定を受けました。ブレークスルーセラピーは米FDAが2012年に導入した、重篤または致命的な疾患に対する治療薬の開発を促進するための制度で、既存薬上回る効果が期待される医薬品に対して、審査の迅速化などの優遇措置を与えるもの。文字通り「画期的治療薬」であるとFDAからお墨付きを得た、ということになります。
ブレークスルーセラピーに指定された品目は、早ければ申請から数ヶ月~半年程度で承認されます。これまでには、小野薬品工業と米ブリストルマイヤーズ・スクイブのがん免疫療法剤「オプジーボ」や中外製薬の抗がん剤「アレセンサ」、スイス・ノバルティスの同「ジカディア」など多くの品目が指定を受けています。日本でも同様の制度として15年から「先駆け審査指定制度」が始まっています。
そんなブレークスルーセラピーに指定されたACE910は、中外製薬が独自技術を用いて開発した「バイスペシフィック抗体」です。通常、抗体は左右の腕で同じ抗原を認識しますが、バイスペシフィック抗体はそれぞれの腕で異なる抗原に結合することが可能です。
血友病Aは、血液の凝固反応に関与する12の因子のうち、第VIII因子が欠乏したり、正しく機能しなくなったりすることで、血液が固まりにくくなり、出血を繰り返す疾患です。第VIII因子は、第IX因子と第X因子に同時に結合して凝固反応を促進します。
ACE910は、片方の腕で第IX因子に、もう片方の腕で第X因子に結合し、欠乏もしくは機能異常の第VIII因子の機能を代替。正しい凝固反応を起こすことで、出血を抑制する効果が期待されています。
ポテンシャルは「世界で2000億円超」
血友病Aの治療は現在、血液製剤で第VIII因子を補充する治療が中心です。しかし、投与された第VIII因子が異物とみなされ、その働きを邪魔する抗体(中和抗体=インヒビター)が発生することがあります。そうなると治療効果が弱まってしまい、これが血友病治療の大きな課題となっています。
ACE910はインヒビターのない患者はもちろん、インヒビターのある患者に対しても効果を発揮することが明らかになっており、FDAが画期的と判断した最大の理由もこの点にあります。現在、スイス・ロシュと共同で国際共同臨床第3相(P3)試験を進めており、日本では2017年度にも申請予定です。中外製薬はグローバルで2000億円超の売り上げが見込めるとそのポテンシャルに期待しています。
成長市場の抗体医薬、日本勢は後れ
世界の抗体医薬市場は近年、大きく成長しています。
英国の調査会社エバリュエートファーマのレポートによると、2014年の医薬品の世界売上高上位10品目のうち、トップの関節リウマチ治療薬「ヒュミラ」(アッヴィ)など5品目が抗体医薬。抗体医薬の成長は今後も続く見通しで、14年に179億ドルだった抗体医薬の世界売上高は、20年には278億ドルまで増えると予測されています。
世界市場を席巻する抗体医薬ですが、日本の製薬企業が開発したものはほんのわずか。上位5品目に日本企業の製品はなく、欧米勢に完全に後れをとっているのが現状です。すでに知られているターゲットには多くの欧米企業が手を付けています。日本勢がこれから挽回するのは難しいとの指摘もある中、成長市場の一角を狙おうと、日本企業は新技術を使った次世代抗体の開発に動いています。
1つの抗体が何度も抗原に結合する「リサイクリング抗体」
バイスペシフィック抗体を手がける中外製薬が開発しているもう1つの次世代抗体が、「リサイクリング抗体」です。
通常の抗体は抗原に1回しか結合することができません。抗原が受容体などの場合、結合した抗体は細胞内に取り込まれた後、抗原とともにタンパク質分解酵素によって分解され、消失してしまいます。
中外製薬の「リサイクリング抗体」は、細胞内の酸性度に応じて抗体が抗原を切り離すよう改変を加えたもの。細胞内では抗原だけが分解され、抗体は再び細胞の外に出て何度も抗原に結合することができるようにしました。
中外製薬によると、この技術はもともと、同社が開発した関節リウマチ治療薬「アクテムラ」の効果をより長く持続させたいとの考えから生まれたものといい、アクテムラを改変して創製されたのが「SA237」です。非臨床試験では、SA237はアクテムラに比べて4倍近くも長く血液中に留まることが確認されており、投与量や投与回数の低減が期待されています。
SA237は現在、視神経脊髄炎という難病を対象にロシュと国際共同P3試験を実施中。中外製薬は18年度以降の承認申請を目指しています。
アステラス、第一三共などは抗体薬物複合体を開発
次世代抗体として近年最も開発が活発化しているのが、低分子の薬物と抗体をくっつけた「抗体薬物複合体(ADC)」です。悪性リンパ腫治療薬「アドセトリス」や乳がん治療薬「カドサイラ」などがすでに発売されており、多くの企業が開発に取り組んでいます。
ADCは、標的に対する特異性の高い抗体を薬剤の“運搬役”として使い、実質的な薬効は抗体にくっつけた低分子薬に担わせるというコンセプトで設計されています。標的にピンポイントで行き届かせることによって、副作用を減らしながら効果を高めることができるので、がん領域を中心に盛んに開発が行われています。
日本企業では、第一三共が独自のADC技術を使った抗HER2抗体薬物複合体のP1試験を実施中。アステラス製薬も、米シアトルジェネティクスの技術を活用し、がんに対する3つのADCのP1試験を進めています。武田薬品工業や田辺三菱製薬も、米国のバイオベンチャーと組んで研究開発を進めています。
開発品目数では欧米がリード
次世代抗体の開発を加速させているのは日本企業だけではありません。医薬産業政策研究所の赤羽宏友主任研究員の調査によると、現在世界で開発中の次世代抗体のうち、バイスペシフィック抗体もADCも半分以上は米国が起源。日本が起源のものはADCで6品目(11.1%)、バイスペシフィック抗体で1品目(3.0%)に過ぎず、開発品目数だけで見れば米国がリードしている状況は変わりません。
標的分子の限界が見えつつある中、抗体医薬開発の主戦場は、技術勝負の次世代抗体に移りつつあると言ってもいいでしょう。高い技術力を持つ日本企業が、出遅れを取り戻して次世代抗体で世界をリードすることができるのか、開発動向から目が離せません。