9月末、エーザイとバイオジェンが共同開発しているアルツハイマー病治療薬候補の抗アミロイドβ抗体レカネマブが臨床第3相(P3)試験で主要評価項目を達成した、というニュースが世界を駆け巡りました。ここでは詳しく触れませんが、アルツハイマー病とアミロイドβの因縁は深く、「ついに仮説が証明された!」と大きな話題になりました。
みなさんご存知の通り、エーザイとバイオジェンがタッグを組んで開発した抗アミロイドβ抗体アデュカヌマブ(製品名・アデュヘルム)は、米国で条件付き承認を取得したものの、異なる結果となった2本の臨床試験に対するFDA(食品医薬品局)の評価や承認のプロセスには多くの議論や異論があり、商業的には成果を上げられていないのが現状です。
有効性とともに議論を呼んだのが、その価格です。アデュヘルムの米国発売時の価格は5万6000ドル(平均体重の患者)でした。これだけ払って軽度アルツハイマー病の進行を遅らせることができたとしても、それが社会に与えるメリットと比較すると釣り合わないのではないか、あるいは、高額ゆえに恩恵を受けられる患者が限られてしまうのではないか、といった議論は当初から聞かれました。バイオジェンは今年1月、承認からわずか半年で価格を半分に引き下げるという異例の対応を行いました。
問われる薬の社会的価値
アルツハイマー病は1つの例ですが、近年、新薬が社会に与える価値が以前にも増して問われるようになってきたと感じています。
一研究者として思うのは「研究者は患者や病気のことだけでなく、社会のことまで考えなければならないのだろうか」ということです。そもそも、日本は「患者中心(patient centricity)」の取り組みで欧米に遅れをとっているとされ、最近ようやく、企業の枠を超えた取り組みが見られるようになってきたところです。そんな状況の中で、研究者たちは薬が社会に与えるインパクト(プラス・マイナス問わず)をどこまで考えるべきなのでしょうか。
ある病気に対する社会的なニーズと、患者ひとりひとりのニーズは、同じようで少し違います。認知症を例にとると、「住み慣れた環境で安心して暮らしたい」はミクロな視点(個人)から見たニーズですが、一方で「認知症にかかる医療・介護のコストを減らしたい」はマクロな視点(社会)から見たニーズです。同じ病気でも、どこから見るかによってニーズや解決策は異なります。一個人からすれば「この症状が少しでも良くなる薬があるのなら高くても使いたい」と思うのは当然ですし、一方で社会からすれば「高い薬がたくさん使われると保険料が上がって困るよ」という意見が出るのも理解できます。
サイエンスに向き合う研究者たちは、プロジェクトの立ち上げ初期からこうしたことを考えられているでしょうか?正直、今の私には後付けで考えることしかできそうにありません。
社会は患者一人ひとりの延長線上に
一人ひとりの患者を超えて、社会全体を考えるとはどういうことなのでしょうか。
社会にインパクトを与える薬剤として、今一番身近な例の1つが、新型コロナウイルスワクチンかもしれません。研究開発に10年ほどかかると言われるワクチンが、わずか1年ほどで世に出てきたことは記憶に新しいと思います。この際、重視されたのは「世界に広がる感染の影響をいかに食い止めるか」であり、ワクチン接種が進んだことで社会経済活動は徐々にコロナ前を取り戻しつつあります。
コロナワクチンの開発には、規制も柔軟に対応し、輸送インフラも見直されました。社会へのインパクトが大きい疾患に対しては、その薬剤開発も社会全体を巻き込んで行われる可能性があります。患者を越えて社会全体へのベネフィットを示すことは、対象疾患や社会情勢によってはスムーズな薬剤開発を後押しする要素になるかもしれません。
逆に、患者数が少ない疾患については、これまで通り「一人ひとりの患者」を意識して創薬を進めるスタンスで良いのではないかと思っています。(もちろん、患者会の設立や必要な支援の呼びかけなど、社会的な認知度向上や協力を得るための活動は必要です)
研究者が社会への影響をどこまで考えるべきかは、ケース・バイ・ケースです。ただ、社会的なニーズは個々の患者の生活や社会活動における問題の集合であり、まったくの無関係ではありません。社会的なニーズは、個人のニーズの延長線上にあることは忘れずにいたいものです。社会的なニーズを知れば、ゴール設定がより明確になり、日々の研究活動のモチベーションになることもあるでしょう。立場や組織を越えて交流し、意識をアップデートできる機会を持てるよう、私も意識してみようと思います。
ノブ。国内某製薬企業の化学者。日々、創薬研究に取り組む傍らで、研究を効率化するための仕組みづくりにも奔走。Twitterやブログで研究者の生き方について考える活動を展開。 Twitter:@chemordie ブログ:http://chemdie.net/ |