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HGFタンパク製剤「確度高く事業化の見通し」クリングルファーマ・安達喜一社長|ベンチャー巡訪記

更新日

製薬業界のプレイヤーとして存在感を高めるベンチャー。注目ベンチャーの経営者を訪ね、創業のきっかけや事業にかける想い、今後の展望などを語ってもらいます。

 

安達喜一(あだち・きいち)東京大大学院農学生命科学研究科博士課程修了後、米国パデュー大のポスドクを経て、米Paradigm Geneticsに入社。帰国後、三井物産戦略研究所バイオテクノロジーセンターでコンサルティング業を経験したあと、2004年にクリングルファーマ研究開発部長に就任。06年から事業開発部長を務め、16年12月に社長に就任。

 

市場からは一定の評価

――昨年12月28日に東証マザーズに上場しました。公募価格1000円に対して1480円の初値がつき、現在(2021年2月上旬の取材時点)は1100円を少し下回る水準で推移しています。市場からの評価や期待をどのように受け止めていますか。

市場からは一定の評価をいただいたと思っています。ただ、私個人としては、私たちのバリューはもっと評価されてしかるべきだと思っています。今開発しているパイプラインをきちんと進めつつ、それを世の中に正しく理解してもらうIR活動をしっかりとやっていくつもりです。

 

――2001年の創業当初は遺伝子治療薬の開発を行っていたそうですが、HGF(肝細胞増殖因子)タンパク質の開発に取り組むようになった経緯を教えてください。

クリングルファーマは、2001年に大阪大発のベンチャーとして設立された会社です。

 

創業当時は、HGFタンパク質の断片を発現する遺伝子治療薬を抗がん剤として開発することを目指していました。遺伝子治療薬は今でこそかなりメジャーになりましたが、当時はまだハードルが高く、薬事的な縛りも厳しかったので、プロジェクトを進めることができなかった。途中からはHGFの断片を組換えタンパク質として開発することも検討しましたが、いくつかの課題をクリアできず、臨床試験に入ることができませんでした。そこで、HGFタンパク質そのものを難病に対する治療薬として開発しようということになり、05年から取り組んでいます。

 

――HGFの断片を組換えタンパク製剤として抗がん剤にしようとした時に課題となったのは何だったのでしょうか。

クリングルファーマが当時開発していたHGFの断片は、HGFのアンタゴニストとして働くものですが、抗がん剤にするには非常に多くの投与量が必要でした。HGFの働きを阻害するには、その10倍の断片がなければアンタゴニストとして働かない。組換えタンパク質として製造すること自体は可能でしたが、大量に製造するのはスケール的にも厳しかったし、事業として成り立たせるのも難しかった。

 

一方、HGFそのものは生体内にもともとあるタンパク質であり、微量で組織の再生や修復という効果を発揮します。HGFをHGF本来の働きとして医薬品にすることで、量の問題はクリアできました。

 

――会社としては大きなターニングポイントでしたね。

私は04年にクリングルファーマに入社しましたが、当時はまだHGFそのものを医薬品として開発するという話は具体化しておらず、HGFの断片を抗がん剤としてどうやって臨床試験に進めるかということをやっていました。米国のバイオベンチャーを見ても、創業時のシーズでそのまま成功しているところはほとんどないと思います。05年、HGFそのものに力を入れるという決断を当時の社長がしたのは、振り返ると非常に大きなことだったなと思います。

 

複雑なタンパク 量産体制を確立

――安達さん自身はどういった経緯でクリングルファーマに入ったのですか。

もともとは研究者をやっていました。日本で博士過程を修了したあとに渡米し、パデュー大で約3年、ポスドクとしてカビの研究をしていました。その後、Paradigm Geneticsという今はない米国のバイオベンチャーに研究員として入ったのですが、日本人が1人しかいなかったので、日本企業とビジネスの交渉をする時に通訳のような形で会議に出るようになり、そこでサイエンスをビジネスにつなぐ面白さを知りました。

 

そこからキャリアチェンジを考えるようになり、研究をビジネスにつなげる仕事、それも、日本発の優れたサイエンスを製品化し、海外に発信できる仕事をしようと日本に戻ってきました。

 

クリングルファーマと出会ったのは、帰国して三井物産戦略研究所で働いていたころです。三井物産戦略研究所はベンチャーキャピタルのファンドに出資をしていて、そのファンドの投資先を回る機会がありました。そのうちの1社がクリングルファーマで、ちょうど事業を積極的に広げていこうという時期と重なっていたこともあり、当時の岩谷邦夫社長からの誘いを受けて入社しました。

 

――2016年には岩谷氏から社長を引き継いだわけですが、入社当時からベンチャー経営への志向はあったのですか。

入社当時は考えていませんでした。HGFの可能性に惹かれて入社を決めたので、とにかくそれを薬にしたいという思いで入りました。

 

――クリングルファーマの強みは何でしょうか。

1つ目は、開発品目がすでにレイトステージにあるということ。第1のパイプラインである脊髄損傷急性期は臨床第3相(P3)試験に入っています。ほかにも、P2を終了しているものが1つ、P2を実施しているものが1つあり、開発後期のパイプラインが充実しています。

 

脊髄損傷急性期のP3試験は自社で行っていて、薬事承認も自社で取るつもりです。サプライチェーンは丸石製薬、東邦ホールディングスと提携して確立しており、事業化の見通しがかなりの確度で立っているのが大きな強みです。

 

2つ目は、HGFタンパク質を医薬品のグレードで量産できる体制を確立していること。これが開発の基盤になっていますし、他社にHGFタンパク質を供給するというビジネスもスタートしています。HGFはさまざまな難病に対する治療薬になり得る可能性を持っていますが、自分たちで開発できる部分か限られる。別の会社がある疾患を対象に開発したいという場合、そこにHGFタンパク質を供給することで収益を得ていくこともできます。

 

HGFタンパク質はアミノ酸が700個くらいつながっているタンパク質で、社名の由来でもある「クリングル構造」という非常に複雑な構造を持っています。これを組換えタンパク質として活性のある形で製造するのは結構難しい。医薬品のグレードで製造するとなるとさらに大変で、それが可能なプラットフォームをすでに持っているのは非常に大きいと思っています。

 

25年9月期以降 恒常的な黒字化目指す

――競合となる企業はありますか。

HGFタンパク質の臨床試験をここまで進めているのは私たちだけです。一方で、モダリティはまったく異なりますが、HGFタンパク質を発現する遺伝子治療薬は実用化されていますし、海外にはHGFと似た働きを持つ低分子化合物や断片抗体を開発している企業があります。

 

HGFタンパク質そのものは製造するのが大変なので、最近ではHGFと似た働きを別のもので出せないかという方向に海外のベンチャーは向かっていますね。

 

――リードプログラムである脊髄損傷急性期の申請、承認はいつごろを予定していますか。

現在実施中のP3試験は2022年に終了する予定です。そこから承認申請のプロセスに入っていきますのが、当局との交渉・協議になりますので、申請や承認の時期を明示するのは難しい。保守的ではありますが、25年9月期には承認が取れ、製品売上高の計上がスタートし、それによって恒常的な黒字化を目指す、という見通しを立てています。

 

――先駆け審査指定制度の活用も視野に入れていますか。

それも活用したいと考えています。承認までのプロセスをさらに短縮することが可能になりますので、今、検討しているところです。

 

――第2のパイプラインであるALS(筋萎縮性側索硬化症)も22年にP2試験が終了予定です。その後の開発戦略は。

ALSは市場規模も大きく、大手製薬企業もかなり興味を持っているので、P2試験でいい結果が得られれば、海外のメガファーマとの提携もあり得るのではないかと思っています。P3試験をやるとなると、ある程度の規模の試験になるので、P2試験の結果をもってメガファーマと提携し、日本を含む国際共同P3試験を経て、日米欧3極で一気に承認を取得するのが最も理想的な形だと思っています。

 

――HGFタンパク質はさまざまな疾患の治療薬となる可能性があるそうですが、今後の適応拡大についてはどのように考えていますか。

HGFにはいろいろな可能性があり、論文レベルではさまざまな臓器の疾患に対して動物モデルで効果があったという報告が多くなされています。今後、私たちが適応拡大を考えていく上で1つの軸となるのは、脊髄損傷急性期、ALSに続く神経系疾患です。神経系には難病がたくさんあり、開発中のものと同じ投与ルート、同じような用量で効果を示すものもあると思います。

 

究極的には自社販売

――脊髄損傷急性期では、丸石製薬、東邦ホールディングスとの提携で販売体制を構築しています。ほかの適応症でも同様の枠組みを考えているのでしょうか。自社販売への考えも含めて教えてください。

究極的には、開発から販売まできちんと担うことができる製薬企業として成長していきたいと考えています。現段階ではまだ製品がありませんし、販売のリソースもまったくありませんが、ゆくゆくは自社で販売できる体制を目指しています。中長期の収益はそれが最も大きい。ライセンスアウトすることは、将来の取り分を他社にわたすことにほかなりませんから。

 

アムジェンにせよ、ギリアドにせよ、バイオベンチャーからスタートして大きな会社になっているのは、自社でモノを出して販売しているところです。私たちも、日本発でそういう会社になりたいと思っています。

 

――HGFタンパク質に続くパイプラインの構築はどうお考えですか?

当然、それも中長期的には考えていく必要があります。今でもいろいろと調査をしていますし、日本発のいいものが見つかれば、導入して開発したいと考えています。

 

具体的にはいくつか切り口があると思いますが、1つはHGFタンパク質と併用することでより大きなベネフィットをもたらすことができるようなもの。もう1つは第2世代のHGFですね。HGFタンパク質とまったく同じ働きを低分子化合物で出せると理想的だと思いますので、そうしたところにも興味があります。中長期的には、自社で最初のシーズを作るところから手がけられるといいなと思っていますが、これは少し先のことだと考えています。

 

――会社としての目標、ベンチャー経営者としての安達さんの夢を教えてください。

会社としては、HGFタンパク質を薬として世の中に出すということに尽きると思います。きちんと薬を世に出して、社会に価値を提供する。そこまでいかなければ、それまでいくら頑張っても何の意味もない。これまでもそこに徹底的にこだわってやってきましたし、今後もそうして経営をしていくつもりです。

 

経営者としての夢も同じです。薬を世に出し、世界中の患者に届けたい。これは私の人生のミッションだと思っているので、それをやり遂げたいと思っています。「家族が脊髄損傷になったので、HGFを投与してもらえませんか」という問い合わせをいただくことがありますが、今は臨床試験の対象になる人でなければ投与できず、お断りするしかありません。早くHGFを薬として使えるようにして、「この薬でこんなに良くなりました」という知らせが会社に届いたらいいなと。そういうのを見たいですし、そこまでやり切りたいと思っています。

 

(聞き手・前田雄樹、写真は安達氏提供)

 

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