小野薬品工業の免疫チェックポイント阻害薬「オプジーボ」に端を発した“高額薬剤問題”。厚生労働省が対応策の検討を本格的に始めました。
厚労省は「使用」と「価格」の両面からこの問題に切り込む構え。適正使用のためのガイドラインを策定し、適応拡大に合わせて薬価を引き下げる仕組みを検討します。今年度の薬価制度改革では特例拡大再算定が導入され、費用対効果評価も試行的に始まりました。外堀は確実に埋められています。
新薬開発に莫大な費用を注ぎ込む製薬企業、画期的新薬を待ち望む患者、医療費の増加を食い止めたい政府――。診療報酬増額の財源を確保したい日本医師会の思惑も絡み、「三方よし」の実現は困難を極めそうです。
現行制度「高額薬剤に対応できない」 厚労省が見直し提案
7月27日の中央社会保険医療協議会(中医協)。高額な薬剤が相次いで登場し、医療保険財政を圧迫しかねない現状に、厚生労働省は「国民皆保険維持の観点から、従来の仕組みでは必ずしも十分対応を講じているとは言えない。薬価のあり方について抜本的な見直しを行ってはどうか」と提案しました。
引き金となったのは言うまでもなく、小野薬品工業の免疫チェックポイント阻害薬「オプジーボ」。薬価は100mg1瓶で73万円。画期的な作用機序と高い有効性が評価され、高額な薬価となりました。
2014年9月の発売当初は悪性黒色腫に適応が限られていましたが、15年12月には非小細胞肺がんに広がり、対象患者は急増。今年春、財務省の審議会で専門家が「国が滅びかねない」と指摘して以来、画期的ともてはやされた新薬は批判にさらされる場面が多くなりました。
投与患者は5万人?1万5000人?「オプジーボ」の薬価の問題に火をつけたのは、日赤医療センター化学療法科部長の國頭英夫医師。4月4日の財務省・財政制度等審議会財政制度分科会の会合で、非小細胞肺がん患者10万人強のうち「少なく見積もっても5万人が対象」とし、5万人が1年間「オプジーボ」を使うと、それだけで1兆7500億円の費用がかかるとの試算を公表。多くのメディアが取り上げました。
國頭医師は財政審の会合で、「オプジーボ」は▽効果が期待できる患者を治療前に特定できない▽有効な症例では効果が長期間続くためいつまで使うべきか分からない▽偽増悪(投与開始後に一旦腫瘍が大きくなり、その後縮小する)があるので「やめ時」が分からない――と指摘。こうした薬剤の適応が広がることで、「使う患者数が桁違いになり、一気に財政を圧迫することになる」と懸念しました。
一方、小野薬品が予想する16年度の新規使用患者数は悪性黒色腫で450人、非小細胞肺がんで1万5000人。非小細胞肺がんでの推定使用患者数は、15年12月17日の適応拡大承認から16年7月15日までで7045人と言います。 |
「ソバルディ」や「レパーサ」もやり玉に
高額薬剤問題は今に始まったことではありません。最近はとかく「オプジーボ」ばかりが注目されがちですが、昨年はギリアド・サイエンシズのC型肝炎治療薬「ソバルディ」と「ハーボニー」がやり玉に。12週間の投与で500万円を超える高薬価は、予想を超えて売り上げが拡大した医薬品の薬価を最大50%引き下げる「特例拡大再算定」導入のきっかけとなりました。
今年4月には、高脂血症に対する抗体医薬「レパーサ」(アステラス・アムジェン・バイオファーマ)が議論に。適応は▽スタチンでは効果不十分な高脂血症▽家族性高コレステロール血症―。ですが、4月13日の中医協では、通常の高脂血症患者にも「レパーサ」が投与されてしまうのではないかとの懸念が示されました。
「レパーサ」の薬価は1キット2万3000円(2週間に1回投与)。従来薬に比べて高額で、長期に渡る投与が必要な薬なだけに、 「承認から原則60日、遅くとも90日以内に自動的に薬価収載するルールを含め、承認から収載までの流れを抜本的に見直すことが必要」 「中医協の裁量権で、例えば、レパーサの保険適用を家族性高コレステロール血症に限定できるルールを作るべき」 との意見が噴出。高額薬剤の問題は薬価だけでなく、薬価収載のあり方や適応症の制限といったところまで広がりを見せました。
適正使用へガイドライン、適応拡大で薬価下げ
厚労省が高額薬剤への対応策として7月27日の中医協に提案したのは、▽適正使用のためのガイドラインの策定▽適応拡大で対象患者が拡大した場合に、2年に1回の薬価改定を待たずに薬価を見直す仕組みの構築――の2点。「オプジーボ」については、18年度の次期薬価改定を待たずに薬価を引き下げることも検討します。
適正使用のためのガイドライン(最適使用推進ガイドライン)には、対象医薬品の使用が最適だと考えられる患者の選択基準や、適切に使用できる医師・医療機関の要件を盛り込む方針です。16年度は試行的な取り組みとして「オプジーボ」と「レパーサ」、そしてそれぞれの類薬で策定することになります。
これまでも、学会や製薬企業が主に安全性の観点から独自にガイドラインを策定する動きはありました。例えば「オプジーボ」の場合、小野薬品は▽専門医が在籍▽副作用に対応できる――といった要件を定め、これらを満たしたところにしか製品を納入しないといった措置をとっています。
国が主導して適正使用のためのガイドラインを作成するのは初めてのこととなります。政府の「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)2016」には、「革新的医薬品等の使用の最適化推進を図る」ことが盛り込まれており、厚労省の動きもこれを受けたもの。ガイドラインから外れた使い方がされた場合に、公的医療保険を適用しないことも視野に、具体的な検討が進むことになります。
診療報酬も絡みすれ違う思惑
7月27日の中医協では厚労省の提案に大きな異論はなく、今後、中医協の薬価専門部会で具体的な検討が進められることになりました。ただ、特に薬価の引き下げをめぐっては関係者間の思惑はすれ違っており、議論は難航も予想されます。
政府は当然、今回の対応によって薬剤費の増加に歯止めをかけることを狙っています。政府は16~18年度の社会保障費の伸びを1兆5000億円に抑える方針ですが、大きな制度改正のない17年度に年平均5000億円程度の抑制分をどう捻出するかは大きな課題。「オプジーボ」の薬価引き下げはその目玉となり得ます。
保険給付の増加に頭を悩ます医療保険者も、薬価引き下げを求める点で立ち位置は同じ。適正使用のガイドラインも厳格に運用し、医療費の支払いはガイドラインにもとづいて厳しく審査すべきと主張します。
薬価下げの財源は診療報酬に
一方、日本医師会は、薬価引き下げの必要性こそ認めるものの、生まれた財源は診療報酬本体の改定に充てるべき、との立場です。
仮に18年度改定を待たずに「オプジーボ」の薬価を引き下げた場合、その財源を診療報酬に充てるのは不可能で、イレギュラーな薬価引き下げは薬価財源が診療報酬に回らないという点で「非常にリスキー」(中川俊男副会長)との声も。ガイドラインについても、医師の裁量権を認めて柔軟に運用すべきと言います。
そもそも日医は「適応拡大で対象患者が急増した場合は、通常の改定を待たずに薬価を引き下げるべき」と強く主張してきましたが、7月27日の中医協では物言いがややトーンダウン。日医にとっては、「オプジーボ」の薬価引き下げは18年度まで待った方が、診療報酬改定の財源確保という面ではプラスとも言えます。消費増税の延期により、診療報酬改定財源の不足も懸念される中、日医が今後どのような主張を展開するかが、議論の行方に大きな影響を与えることになります。
皆保険とイノベーションの両立、納得感ある解決策は?
薬価の引き下げは新薬開発のインセンティブを奪いかねず、製薬業界からの反発は必至。イレギュラーな薬価引き下げは、政府内でくすぶる“毎年改定”につながりかねず、警戒感が広がります。
一方で、適正使用のためのガイドラインは、製薬企業にとっても悪い話ではありません。よく効く患者に絞って使われる方が、薬剤の価値が高まると考えられるからです。副作用のリスクを小さくするためにも必要なことでしょう。
先に述べたように、「オプジーボ」ではすでに、安全性の観点から要件を満たした医療機関にのみ製品を納入する措置をとっています。目先の売り上げに大きな影響を及ぼす可能性も高くはないでしょう。現時点では、どの患者に効くか事前に判別することが難しい中、投与患者の選択基準をどう設定するかが課題となります。
公的医療保険財政が厳しさを増す中、高額な薬剤に対する風当たりは強く、ある程度の薬価の引き下げはやむを得ないかもしれません。
ただ、こうした動きも行き過ぎれば、新薬開発へのモチベーションを奪ってしまうことになりかねません。国民皆保険の維持とイノベーション促進の両立は可能か――。特例拡大再算定をめぐる議論でもぶち当たったジレンマに、今度こそ納得感のある解決策を見出すことはできるのでしょうか。