
前回は、連載のイントロダクションとして日本が世界有数の新薬創出国であった時代の話と、再興に向けて2040年を見据えた製薬産業の構想を再構築していく必要性について書きました。
日本の製薬企業の最初の躓きは、1990年代にハイスループットスクリーニング(HTS)の導入が遅れたことだと言われます。ここで欧米勢に差をつけられました。このころから、日本の製薬産業が世界のそれにもたらす経済的価値は下がり、世界に占める日本の製薬産業の価値は1995年の18.5%から2018年に5.5%まで低下したとの分析もあります。
化合物ライブラリの整備や自動化システムの導入など、設備投資の多寡も影響したでしょうが、もっと根源的な理由としてメンタリティの差もあったのかもしれません。1980年代後半、米国の大手製薬企業やバイオテクノロジー企業、研究機関はいち早く、新技術として登場したHTSの導入に動きました。一方、日本企業では「化合物の質」を重視した職人芸を重んじる文化が根強く、HTSによる大規模スクリーニングという「化合物の量」に頼るアプローチに懐疑的な見方もあったと言われています。
翻って現代。日本の製薬業界でもオープンイノベーションが盛んに叫ばれるようになりました。外部から新しい知見、技術、アプローチを取り入れ、それらを組み合わせる能力が重要になっています。例えばAI。Exscientia、Insilico Medicine、Recursion、Schrödingerといった企業は、AIを使って生み出した新薬候補を臨床開発のステージに上げています。
こうした企業は、ロボティクスによる実験の自動化、HTS、研究者のインサイトなどを統合し、新薬候補を作り上げています。創薬研究がAIに置き換わるような世界が来ることには懐疑的ですが、AI創薬企業でなくとも、AIは製薬企業のオペレーティングモデルに組み入れられ始めている状況かと思います。
新しい知見や技術が次々と生まれてくる昨今、思考を足し算(積み上げ)から掛け算(組み合わせ)へと転換する必要があります。研究プロセスだけでなく、最終的な製品アウトプットのレベルで考えても、です。抗体薬物複合体(ADC)への投資が活況ですが、ほかにも放射性医薬品とペプチドを組み合わせたり、ネットワーク創薬(Network-based Drug Discovery=NBDD)の発想で複数の標的を狙ったり、ドラッグリポジショニングでまったく別の疾患に展開したり。コンビネーション機器やコンビネーションセラピーも増えていくでしょう。
「不可能」が「革新」に変わる瞬間
新しいもの=良いものとは限りません。だからこそ、色々とちょっとずつ試してみる。スタチン、分子標的薬、抗体医薬、mRNA…。どれも萌芽期には「不可能」「ありえない」などと言われましたが、そうした時を経て「革新」へと変わる瞬間を迎えてきました。これは研究に限ったことでなく、製薬企業の他部門や本社、そして臨床現場の働き方やオペレーティングモデルにも言えることかと思います。
以前、ある企業の経営者にこんなことを言われたことがあります。「製薬企業の研究開発は99%失敗するんだから、もっと色々試してみたらいいのに」。目的達成のためのトライアンドエラーが許容されない組織には、切り落とされない「ゾンビプロジェクト」が蓄積し、澱んでいきます。それは組織にとっても個人にとっても不幸なことです。
もともとITの世界で使われていたアジャイルという言葉が、製薬業界でも耳にタコができるくらい聞かれるようになりました。ちょっと試し、だめなら見切り、そこで得た学びを新たなチャレンジにつなげる。これから生き残るのは、そうしたサイクルを高速で回せる組織でしょう。「初志貫徹」とは最初に掲げた北極星を追い続けることであり、その過程やアプローチに固執することではありません。
基礎研究や学際的研究への投資が叫ばれています。イノベーションを創出し、日本の製薬産業に漂うそこはかとない閉塞感を打開するには、それに加えてヒト・カネ・チエ・モノのリアルとバーチャルでの流動性を高める必要があります。次回の記事では、そのことについて考えていきたいと思います。
増井慶太(ますい・けいた)インダストリアルドライブ合同会社CEO。BAIOX株式会社CEO。ヘルスケアやライフサイエンス領域の投資運営、M&A仲介、カンパニー・クリエーション、事業運営に従事。東京大教養学部卒業後、米系経営戦略コンサルティング企業、欧州製薬企業などを経て現職。 ウェブサイト:https://www.industrialdrive.biz/ X:@keita_masui LinkedIn:https://www.linkedin.com/in/keita-masui/ Note:https://note.com/posiwid |
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