
日本の製薬産業は今、かつてないほど困難な局面に立たされているといっても過言ではありません。国内では薬価抑制策が長く続く中、創薬力の低下が叫ばれ、ドラッグ・ラグ/ドラッグ・ロスが問題に。海外では、米トランプ政権が医薬品に対する関税の導入や医薬品価格の引き下げを打ち出し、まさに内憂外患の状況です。
現在、世界の医薬品市場に占める日本の割合は約5%。18%程度あった1990年代から年々縮小しており、国内企業だけでなく外資系製薬企業からも日本のプレゼンス低下への危機感が示されています。
海外に目を向けると、足元ではトランプ政権下で政策の変化が見られるものの、米国や欧州、そして最近では中国からも多くの新薬が生まれています。こうした国・地域と比べてみると、日本は創薬はかつての勢いを失ってしまっているように見えます。
かつての勢いと書いたのは、実際に日本の製薬産業が世界で大きな存在感を持っていた時期があったからにほかなりません。1980年代、日本が創出した新規化合物は米国の次に多く、消化器系疾患、高血圧症、脂質異常症といった領域でブロックバスターが誕生しました。この時期、世界全体で創出された新規化合物の3割(131品目)を日本が生み出しており、紛れもなく創薬で世界をリードする国の1つでした。
創薬力あるいは市場性という点で、日本が再びグローバルな製薬産業の中で勢いを取り戻す日は来るのでしょうか。界隈の声に耳を傾けると、否定的な見方も少なくありません。ライフサイエンス産業に携わる者として、日本のこの産業が徐々に力を失っていく様子を見るのは侘しく、やるせない気持ちになります。
なぜ2040年を見据えた産業論の再構築が必要なのか
復活を期すならば、残された時間はそう多くありません。人口推移の予測を踏まえると、2030年まで、つまり今後5年間が勝負の時期と考えられます。2030年代後半以降、日本は従属人口比率(=従属人口÷生産年齢人口)が高まり、今よりもっと厳しい局面を迎えます。総人口はすでに減少していますが、2040年以降はさらに高齢人口も減少へと転じます。医薬品をはじめとする医療技術の研究開発には10年単位の時間がかかります。2040年に成果を出すには、2020年代中に基礎や基盤となる研究を仕込んでおくことが不可欠です。
とりわけヒトの安全性に関わる領域では、新たな技術がInvention(考案)からInnovation(社会実装)に至るまでに、長い年月を要します。
S字カーブやハイプサイクルという考え方があります。新技術が探索・黎明期から導入期、成長期を経て成熟・飽和期に至るまでの普及プロセスを示すモデルであり、イノベーションの段階を可視化するフレームワークです。製薬産業でも、技術の受容とスケールアップのダイナミクスを理解する上で有用な視点を提供してくれます。
たとえば、抗体医薬は1990年代の登場当初、安全性や免疫原性、製造コストに対する懸念から懐疑的に受け止められていましたが、(完全)ヒト化技術などの進展とともに市場に浸透。標的治療としての地位を確立し、現在ではバイオ医薬品市場の中核を担うモダリティへと成熟しています。核酸医薬、CAR-T細胞療法、ADC(抗体薬物複合体)、さらには分子糊やRNAなども、それぞれの技術的・商業的な普及課題に七転八倒しながら進化を続けます。
製薬産業には多くのステークホルダーが関与しており、中立的な立場を保つことの難しさは理解できるものの、俯瞰的視点から明確な政策的指針が示されているとは言い難いのが実情です。そもそも、産業の構築・育成に割ける行政リソース自体が不足している印象もあります。産官学連携と言えどいまだにサイロ化は課題で、建設的な議論が十分に行われていない中、我々自身の手で、2040年を見据えた製薬産業の構想を未来志向で再構築していく必要があると感じています。
日々の生活の中で、自らのコントロールが及ばないことは多々ありますが、将来について考え、語ることは誰にでもできます。そして、ほんの少しでも行動に移すことができたなら、それは自身が望む未来を築く第一歩になるはずです。
この連載では、2040年に向けて日本の製薬産業を再構成するにあたり、ポイントとなるいくつかの「鍵穴」に関する仮説を紹介していきます。どんな鍵を使えば扉を開くことができるのか、読者の皆さんとともに考えていけたら嬉しいです。次回は、1つ目の鍵穴として新技術の「乗法(掛け算)」について考えます。
増井慶太(ますい・けいた)インダストリアルドライブ合同会社CEO。ヘルスケアやライフサイエンス領域の投資運営、M&A仲介、カンパニー・クリエーション、事業運営に従事。東京大教養学部卒業後、米系経営戦略コンサルティング企業、欧州製薬企業などを経て現職。
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