国内に約84万人の患者がいるとされる乳がん。治療薬の開発はなお活発で、今年も新規作用機序のAKT阻害薬「トルカプ錠」(一般名・カピバセルチブ)や抗TROP2抗体薬物複合体(ADC)「トロデルビ点滴静注用」(サシツズマブ ゴビテカン)といった新薬が承認されています。これらに続く新薬の国内の開発状況をサブタイプごとにまとめました。
INDEX
24年は3つの新薬が承認
乳がんの薬物治療はサブタイプによって異なります。サブタイプは、ホルモン受容体(HR)とHER2(ヒト上皮増殖因子受容体2)の発現の有無や程度によって分けられており、薬物治療はHR陽性なら内分泌療法(CDK4/6阻害薬との併用を含む)、HER2陽性なら抗HER2療法を行うのが基本。特定の遺伝子に変異がある場合は、それを標的とする分子標的薬も使われます。
乳がんは患者数も多く、治療薬の開発も活発。今年もすでに3つの新薬が承認されています。HR陽性HER2陰性乳がんでは、アストラゼネカが国内初のAKT阻害薬となるトルカプを5月に発売。内分泌療法後に増悪したPIK3CA、AKT1、PTEN遺伝子変異を有する患者が対象です。HRもHER2も陰性のトリプルネガティブ乳がんでは、ギリアド・サイエンシズの抗TROP2 ADCトロデルビが9月に承認されました。抗TROP2抗体にトポイソメラーゼI阻害薬を結合させたもので、TROP2を標的とする治療薬は国内初です。
今年承認されたもう1つの新薬は、4月に発売されたファイザーのPARP阻害薬「ターゼナカプセル」(タラゾパリブトシル酸塩)。化学療法歴のあるBRCA遺伝子変異陽性かつHER2陰性の手術不能・再発乳がんが対象です。PARP阻害薬としては、2018年発売の「リムパーザ錠」(オラパリブ、アストラゼネカ)に続く2剤目となります。
【HER2陽性】エンハーツは術前補助療法の開発が大詰め
HER2陽性乳がんでは、2つの抗HER2 ADCが臨床開発を行っています。
「化学療法歴のあるHER2陽性の手術不能または再発乳がん」の適応を持つ第一三共の「エンハーツ」(トラスツズマブ デルクステカン)は、術前補助療法、術後補助療法、1次治療への適応拡大に向けた臨床第3相(P3)試験が進行中。術前補助療法は24年度下半期、術後補助療法と1次治療は25年度に、それぞれ試験の主要データが得られる見通しです。
エーザイの「BB-1701」は、自社創製の抗がん剤エリブリンを抗HER2抗体に結合させたADCで、中国のBlissBiopharmaceuticalとともにP2試験を実施中。エーザイはエリブリンを使った複数のADCのグローバルライセンスをBlissBioに付与していますが、BB-1701については中国、香港、マカオ、台湾を除く全世界で開発・商業化権に関するオプション権を有しています。
【HER2低発現・超低発現】エンハーツが1次治療に適応拡大申請
HER2低発現乳がんは近年新たに分類されたサブタイプ。従来はHER2陰性と診断されていたHER2の発現度合いが低い乳がんで、HER2陰性の患者のうち60%程度が「HER2低発現」、25%程度が「HER2超低発現」にあたります。国内では23年3月、エンハーツが「化学療法歴のあるHER2低発現の手術不能または再発乳がん」の承認を取得。新たなジャンルを切り開きました。
エンハーツは今月、化学療法歴のないHER2低発現・HER2超低発現乳がんへの適応拡大を申請。承認されれば、より早い段階でエンハーツを使えるようになります。第一三共は、抗TROP2 ADCダトポタマブ デルクステカンも2~3次治療を対象に申請中。エーザイのBB-1701のP2試験もHER2低発現の患者を含めてデザインされています。
【HR陽性(ホルモン療法以外)】抗TROP2 ADCと次世代CDK4阻害薬がP3進行中
HR陽性は乳がん全体の7割程度を占めます。薬物療法の中心はホルモン療法で、HR陽性乳がんに対する非ホルモン療法としては、ホルモン療法と併用するCDK4/6阻害薬やmTOR阻害薬、BRCA遺伝子変異陽性患者に使用するPARP阻害薬などがあります。
今年承認されたAKT阻害薬「トルカプ」は、ホルモン療法後に増悪したHR陽性・HER2陰性の手術不能・再発乳がんに対して、ホルモン療法剤のフルベストラントと併用します。AKTは、ホルモン剤やCDK4/6阻害薬に対する耐性機序の1つである「PI3K/AKT/PTEN pathway」を構成するタンパク質。トルカプはPIK3CA、AKT1またはPTEN遺伝子変異を持つ患者が対象です。1次治療でも開発が進んでいます。
第一三共は、抗TROP2 ADCダトポタマブ デルクステカンを3月に申請。2~3次治療が対象で、臨床試験では主要評価項目の無増悪生存期間を化学療法群と比べて有意に延長しました。TROP2は乳がんで高発現するタンパク質で、がんの進行や生存率の低下に関係すると考えられています。
同じ抗TROP2 ADCでは、ギリアドのトロデルビが3次治療でP2試験、ホルモン療法抵抗性でP3試験を行っています。国内では先月トリプルネガティブ乳がんを対象に承認されましたが、海外では治療歴のあるHR陽性・HER2陰性がんでもすでに承認されており、国内への展開が期待されます。このほか、PMDA(医薬品医療機器総合機構)の治験情報によれば、MSDの同「MK-2870」(sacituzumab tirumotecan)もP3試験段階(実施予定期間今年9月~)です。
ほかにP3段階にあるのは、ファイザーの次世代CDK4阻害薬atirmociclib。従来のCDK4/6阻害薬よりも高い選択性を持つとされ、CDK4/6阻害薬による前治療で進行した患者を対象にフルベストラントとの併用療法のP3試験を行っています。同社はKAT6阻害薬「PF-07248144」なども開発中。KAT6の阻害はエストロゲン受容体の転写を抑制するとされ、ホルモン療法抵抗性への効果が期待されています。
中外製薬は今年7月、スイス・ロシュからPI3Kα阻害薬inavolisibを導入。パルボシクリブとフルベストラントの併用療法への上乗せを検討した海外のP3試験では、無増悪生存期間を有意に延長。米国ではすでに申請を行っています。
【HR陽性(ホルモン療法)】リリーのイムルネストラントやファイザーのPROTACなど
ホルモン療法薬でも複数の薬剤が後期開発段階にあります。
ホルモン療法には、乳がん細胞の増殖に関わるエストロゲンを標的とする薬や、エストロゲンの分泌を抑えるLH-RHアゴニストやアロマターゼ阻害薬がありますが、目下、新薬開発が活発となっているのが経口選択的エストロゲン受容体分解薬/機能抑制薬(SERD)。エストロゲン受容体に作用し、エストロゲン受容体とエストロゲンの結合を阻害する薬剤で、これまで治療が困難だったホルモン療法後にESR1変異陽性となった患者にも効果が期待されています。米国や欧州では23年にエーザイ創製の「Orserdu」(elacestrant)が導出先のメナリーニ(イタリア)を通じて承認されましたが、日本では同薬の開発は行われていません。
国内で最も開発が進んでいるのは、日本イーライリリーのイムルネストラント。米本社の決算発表によれば、転移性乳がんを対象に日米欧で年内の申請を見込んでいます。臨床試験では単剤療法のほかCDK4/6阻害薬アベマシクリブ(製品名・ベージニオ)との併用療法を検討しており、試験の結果によっては2つの用法での申請が行われるとみられます。
ファイザーのベプデゲストラントは、米アルビナスが開発した標的タンパク質分解誘導化合物(PROTAC)で、21年から両社で共同開発を進めています。2次治療に対する単剤療法の開発が最も進んでおり、25年3月ごろまでに臨床試験の結果が得られる見通し。パルボシクリブとの併用療法も検討中で、来年にはグローバルでatirmociclibとの併用療法のP3試験が開始される見込みです。
アストラゼネカのカミゼストラントは、1次治療の適応で25年中のP3試験のデータリードアウトを予定します。中外製薬のギレデストラントは、もともとイムルネストラントやカミゼストラントより開発が先行していましたが、2~3次治療の単剤療法を対象に行ったP2試験に失敗。現在はCDK4/6阻害薬、アロマターゼ阻害薬との3剤併用療法(1次治療)やmTOR阻害薬との2剤併用療法(1~3次治療)で評価を進めています。
【TNBC】抗TROP2 ADC、第一三共とMSDもP3
トリプルネガティブ乳がん(TNBC)は、最も悪性度の高いタイプの乳がん。HRの「エストロゲン受容体」と「プロゲステロン受容体」、さらにはHER2のすべてが陰性のため、ホルモン療法も抗HER2療法も効果がありません。近年、PARP阻害薬やがん免疫療法が承認され、選択肢は増えつつあります。
TNBCで注目される標的が、TNBCの約8割に発現するとされるTROP2。日本では先月末、抗TROP2 ADCの「トロデルビ」が承認されました。承認は治療歴のある手術不能または再発の患者が対象で、臨床試験では3次治療以降の患者を対象に有効性と安全性が確認されています。現在、アジュバント療法や1次治療への適応拡大に向けたP3試験が進行中です。
トロデルビを追うのが第一三共のダトポタマブ デルクステカンです。すでにHR陽性・HER2陰性乳がんでは申請を済ませていますが、TNBCでは1次治療とアジュバント療法でP3試験を実施中。1次治療では、PD-1/PD-L1阻害薬の治療の対象にならない患者を対象とした単剤療法と、抗PD-L1抗体デュルバルマブ(イミフィンジ)との併用療法をそれぞれ検討しています。単剤療法では今年度中にトップラインデータが得られる見通しです。アジュバント療法のP3試験は、トリプルネガティブ乳がんに近いと考えられている「HR低発現かつHER2低発現または陰性乳がん」も含めた試験。デュルバルマブとの併用による術前薬物療法と、それに続くデュルバルマブ±化学療法の術後薬物療法の検討を行っています。このほか、PMDAの治験情報によればMSDのMK-2870が先月にトリプルネガティブ乳がん対象でP3試験段階(実施予定期間今年9月~)です。
がん免疫療法では、PD-L1陽性の患者に対して中外製薬の抗PD-L1抗体「テセントリク」(アテゾリズマブ)とMSDの抗PD-1抗体「キイトルーダ」(ペムブロリズマブ)が承認されています。ともに転移・再発乳がんに対する化学療法との併用が可能で、キイトルーダは周術期でも承認を取得しています。テセントリクも現在、周術期でP3試験を実施中です。