6月、日本経済新聞の名物コーナー「私の履歴書」に、第一三共常勤顧問の中山譲治さんが登場しました。日経電子版を遡ってみると、製薬業界の方が登場したのは2021年8月の永山治・中外製薬名誉会長以来、約2年ぶりでした。
製薬業界に身を置く私にとって「私の履歴書」に業界の方が登場するのは嬉しいもので(ライバル企業だったとしても)、永山さんのときもその喜びをnoteに書いています。今回、中山さんの記事が掲載された6月というのは、私が前職から製薬企業に転職したタイミングでもあり、新天地での仕事を応援してくれているような気持ちで読みました。
日本の製薬企業のトップ(を務めた方)の半生を「私」が読める喜びも去ることながら、それ以上に広く一般の方が目にする新聞に業界の方が登場することは嬉しいことだと思っています。製薬産業はどちらかというとニッチな産業です。一般の方からすると、薬は身近なものかもしれませんが、それを開発している製薬企業は縁遠い存在なのではないでしょうか。そんな業界に陽が当たることは個人的にも嬉しいですし、アドボカシーという観点からも非常に意義が大きいと感じています。
中山さんの記事を読んだ方は、それぞれいろんなことを感じたかと思いますが、私は特に印象に残ったところが3カ所あります。
最も印象に残ったのは18回目「インド」(6月19日掲載)で、製薬企業の資金サイクルや新薬開発のリスクの高さが書かれています。製薬業界の方々には当たり前の話ですが、こうしたことが一般の方の目に触れることでこの産業に対する理解が少しでも深まればと感じました。一節を引用します。
「新薬を生み出すには巨額の研究開発投資と長時間を要し、しかも成功確率は極めて低い。やっと製品化した新薬によって得られる資金で次の新薬開発の投資を賄う。この繰り返しで事業を継続する。もし次の新薬開発が間に合わないなら、他社の開発化合物や製品を買い取ってしのぐしかない」
開発→販売→再投資のサイクルが回らなくなると、特に研究開発型の製薬企業は会社として存続できなくなり、結果としてより良い医薬品を届けることが難しくなってしまいます。新薬を少しでも早く患者さんに届けるために、製薬企業で働く人がものすごいエネルギー(資金、時間、労力)をかけて日々仕事をしていることが見える記事で、そのことをもっとも多くの人に知ってもらえるような活動を私もやっていかなければとあらためて感じさせてくれました。
2つ目は25回目の「抗HER2」(6月26日掲載)で、ここに出てくるエピソードが「製薬あるある」であることを後日知りました。こんなことが書かれています。
「大きな組織は一度指示したぐらいでは変わらない。どうしても過去の発想・慣例を引きずり急転回できない。徹底して言い続けなければならないと考え、社内会議のたびに『資源配分、迷ったらADC、まだ迷ったら抗HER2』を繰り返した。それは『問題が起きたら経営トップの私が責任を取る』というメッセージのつもりでもあった。ちょうど車の入れ替え時期だったので、新しい車番を新薬の番号にした。自分の覚悟のつもりだった」
記事では、抗HER2抗体ADC(抗体薬物複合体)「エンハーツ」の開発コード(DS-8201)にちなみ「8201」のナンバーがついた社用車の写真が紹介されています。私は単純な人間なので、これには痺れてしまいました。ものすごい覚悟を感じました。同僚に「これすごくないですか!」と言ったら、製薬企業では珍しくないことで、それだけ製品に思い入れがあるのだということを教えてもらいました。
私たちにしかできないこと
最後は、背筋がグッと伸びる思いがした17回目の「わらしべ長者」(6月18日掲載)です。中山さんが第一三共の社長に指名され、旧体制最後となった取締役会で島田馨監査役が話したことが書かれています。
「私は感染症の専門医でもあります。以前、ある種の結核で治療薬がなく、患者さんが病に侵されて重篤化し、亡くなられるのを見ながらなすすべもありませんでした。しかし、この会社が開発した抗生剤の投与によって治療できることがわかりました。患者さんと担当医にとって、このうえもない福音でした。それはこの会社があったからできたことです。これから事業統合の成果を実現していくうえで、様々な課題を克服することが求められます。多くの苦労が伴うと思いますが、『この会社にしかできないことがある』ということを決して忘れないでください」
一歩引いた目で見てみると「私たち製薬産業にしかできないことがある」とも言えるのではないでしょうか。すごく勇気づけられる話でした。
目の前のことで手一杯になってしまいがちですが、こうした思いを忘れずに日々仕事をしていきたいと感じました。皆さんも日々、いろいろなことがあると思います、本当に。でも、私たち製薬人は誰のために仕事をしているのか、この記事はあらためて思い出させてくれたように感じています。
※コラムの内容は個人の見解であり、所属企業を代表するものではありません。
黒坂宗久(くろさか・むねひさ)Ph.D.。アステラス製薬ヘルスケアポリシー部所属。免疫学の分野で博士号を取得後、約10年間研究に従事(米国立がん研究所、産業技術総合研究所、国内製薬企業)した後、Clarivate AnalyticsとEvaluateで約10年間、主に製薬企業に対して戦略策定や事業性評価に必要なビジネス分析(マーケット情報、売上予測、NPV、成功確率、開発コストなど)を提供。2023年6月から現職でアドボカシー活動に携わる。SNSなどでも積極的に発信を行っている。 X(Twitter):@munehisa_k note:https://note.com/kurosakalibrary |