内耳や聴神経の障害で起こる感音難聴。根本的な治療薬はなく、大きなアンメットニーズが存在する一方、開発に取り組む企業は限られています。こうした中、アステラス製薬は再生アプローチでパイプラインを構築しており、米イーライリリーは遺伝子治療のスタートアップの買収を発表しました。先行する企業は苦戦を強いられていますが、徐々に開発が進んでいます。
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アステラス、有毛細胞の再生に軸
難聴に苦しむ人は世界に4.3億人いるとされ、WHO(世界保健機関)によると2050年には7億人近くに増えると推定されています。
難聴には、外耳や中耳の問題で起こる「伝音難聴」と、内耳や聴神経の異常で起こる「感音難聴」があります。感音難聴には突発性難聴や騒音性難聴、先天性難聴などがあり、難聴の9割は感音難聴ともいわれています。加齢に伴って症状が出ることも多く、75歳以上では2人に1人が難聴を抱えているという報告もあります。
伝音難聴は薬や手術で治療できますが、感音難聴は補聴器や人工内耳などを装着して聞こえを改善するのが基本で、根本的な治療薬はありません。疾患の原因や経過を知ろうにも、骨に囲まれた内耳の細胞を採るのは難しく、疾患の理解や治療薬の開発もなかなか進んでいませんでした。
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米英のバイオテックと提携
アステラスは米バイオテックのFrequencyと組み、突発性難聴と騒音性難聴を対象とする低分子化合物「FX-322」の臨床第2b相(P2b)試験を進めています。Frequencyが創製したFX-322は、グリコーゲンシンターゼキナーゼ(GSK)-3阻害薬とヒストンデアセチラーゼ(HDAC)阻害薬を組み合わせた薬剤で、鼓室内に投与する注射剤。米国ではFrequencyが、それ以外の全世界ではアステラスが商業化する予定です。
感音難聴は一般に有毛細胞の欠損や損傷で起こり、傷ついた有毛細胞は自然に再生することができません。同薬は眠っている内耳の前駆細胞を活性化し、有毛細胞へと分化させることで聴力の回復を促します。4回投与時の有効性を評価したP2a試験では、プラセボとの比較で有意な聴力改善を示せませんでしたが、別の試験では単回投与で有効性が示されており、進行中のP2b試験では単回投与による単語の聞き取り能力の改善効果を検証。来年1~3月には結果が明らかになる見込みです。
さらにアステラスは、今年7月に英Mogrifyと聴覚再生医療の共同研究契約を締結しました。Mogrifyは、ES細胞やiPS細胞などの多能性幹細胞を介さず、体細胞から目的の細胞を分化・誘導させる「ダイレクトリプログラミング」のプラットフォームを持つバイオテック。共同研究では、有毛細胞への細胞分化に関わる新たな転写因子の組み合わせを同定し、開発候補品を選びます。アステラスは、FX-322やP1試験の段階にある「ASP0598」(予定適応・慢性鼓膜穿孔)で培った耳科学のノウハウと遺伝子治療のケイパビリティを注ぎ、新たな治療薬の創出につなげたい考えです。
先行組は苦戦
米イーライリリーも今年10月、感音難聴に対する遺伝子治療を開発する米Akouosを買収し、この領域に参入すると発表しました。Akouosは低分子からアデノ随伴ウイルス(AAV)ベクターまで、あらゆるモダリティを内耳全体に送達する独自のドラッグデリバリー技術を持っており、リリーは彼らが開発するAAVベクターを用いた遺伝子治療の権利を手に入れることになります。
Akouosのリードプログラムは、オルトフェリン(OTOF)遺伝子変異による遺伝性難聴をターゲットとした遺伝子治療薬「AK-OTOF」。OTOF は内耳の有毛細胞が神経伝達物質を出して聴覚神経細胞を活性化させるのを助ける機能を持つタンパク質で、OTOFをコードする遺伝子に異常があると音刺激を神経に伝達しにくくなります。AK-OTOFは、正常なOTOF遺伝子を蝸牛有毛細胞に導入する治療で、単回投与で聴力回復が期待できるといいます。
AkouosはAK-OTOFについて、小児患者を対象としたP1/2試験を近く開始する予定です。前臨床段階のパイプラインには、網膜色素変性症を伴う難聴疾患のアッシャー症候群タイプ3に対する遺伝子治療薬「AK-CLRN1」や、ギャップ結合タンパク質コネキシン26をコードするGJB2遺伝子異常による遺伝性難聴に対する遺伝子治療などが並んでいます。
iPS細胞に活路
先行して開発が進んでいた新薬候補は苦戦を強いられています。
たとえば、仏Sensorionは今年1月、リードプログラムの「SENS-401」が突発性難聴を対象に行ったP2試験で主要評価項目を達成できなかったと発表しました。同薬は、5-HT3受容体拮抗作用とカルシニューリン阻害作用を持つ低分子化合物。副次評価項目の解析では一部の患者で有効性が示唆されたとし、現在、開発パートナーを探しています。同薬は人工内耳移植後の聴力低下予防の適応でも人工内耳メーカーの豪コクレアと共同で開発を進めており、こちらは現在も開発が続いています。
米Otonomyも今年、難聴に対する脳由来神経栄養因子(BDNF)「OTO-413」の試験に失敗。杏林製薬から導入した別の難聴治療薬候補の開発も取りやめ、同社に権利を返還しています。同社にとってはリードプログラムだった耳鳴り治療薬の「OTO-313」の開発中止に続く痛手で、資金繰りが厳しいとして合併や資産売却といった選択肢を含めて今後の方針を検討しています。
一方、日本企業ではアステラスのほか、ノーベルファーマが遺伝性難聴のPendred症候群を対象に「ラパリムス錠」(開発コード・NPC-12、一般名・シロリムス)のP2試験を実施中。 iPS細胞で作った内耳細胞モデルで治療効果が示唆されたといい、注目されています。iPS細胞を活用した難聴治療薬の研究はほかにも複数のベンチャー企業が行っており、今後の発展に期待がかかります。