リンパ系フィラリア症(LF)撲滅に向け、約10年間、治療薬の無償提供を行っているエーザイ。元同社CFOの柳良平氏らがその価値の可視化に取り組み、「5年間の治療薬の無償提供が約7兆円の社会的インパクト(経済価値)を生み出した」との結果を明らかにしました。LFを含む顧みられない熱帯病の制圧を「重要なビジネス領域」と定める同社。医薬品アクセス問題の解消に向け、今年度中にアフリカに本格進出します。
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20.5億錠を無償提供
エーザイ元CFOで、現在は同社のシニアアドバイザーなどを務める柳良平氏らが今年9月、同社が開発途上国25カ国を対象に行った5年間のリンパ系フィラリア症(LF)治療薬の無償提供によって約6兆7700億円の社会的インパクト(経済価値)が生み出されたとする論文を発表しました。論文の内容は、エーザイが8月に発行した「価値創造レポート」でも紹介され、9月に開かれた同社のESG説明会では、柳氏自らその意義を説明しました。
LFは、蚊が媒介する寄生虫フィラリアによって起こる感染症。感染するとリンパ系組織に障害が起こり、足など体の一部が異常に肥大することから「象皮病」の名でも知られます。2つの薬剤の集団投与(予防的化学療法)によって感染の拡大を阻止することが可能で、エーザイは2013年から、そのうちの1剤であるジエチルカルバマジン(DEC錠)をWHO(世界保健機関)を通じて無償提供しています。
提供するDEC錠は、インドにある同社のバイザック工場で製造。2022年8月時点で20.5億錠を29カ国に提供しています。疾患啓発や環境整備も支援し、これまでにエジプト、キリバス、タイ、スリランカでLFを制圧しました。エーザイはLFを撲滅するまでDEC錠の無償提供を続ける方針を掲げています。
今回、柳氏が米ハーバードビジネススクールのデビッド・フリーバーグ氏とともに試算したのは、2014~18年に行ったDEC錠16億錠の無償提供が開発途上国にもたらした経済的な影響。柳氏らは、同スクールが提唱するインパクト加重会計(IWA)方式を使って定量化を試みました。
LFの予防的化学療法は、年1回5年間の薬剤投与が必要で、適切に行われれば▽新たな感染の予防▽無症候性患者の悪化抑制▽リンパ浮腫や陰嚢水腫を発症した患者の急性発作の発生頻度の低下――が可能となります。14~18年にDEC錠を含む2剤による予防的化学療法を受けたのは1.5億人に上りますが、こうした直接的なメリットを享受したのは約1900万人と推定されています。
柳氏らが試算によって明らかにした約6兆7700億円の経済価値は、この1900万人がDEC錠投与で取り戻せる生涯労働時間に最低賃金を掛け、そこに医療コストの削減額を足し合わせたもの。これを平均余命で割ると毎年1600億円分の価値を生み出しているととらえることができ、財務会計上のEBITDA(利払い前・税引き前・減価償却前利益)に加算すると、エーザイのEBITDAは約2倍になります。企業の持ち出しで行われる社会貢献に説得力を与え得る数字と言え、柳氏は「製薬企業が医薬品アクセス向上に取り組むための一助となる大きなインパクトだ」と話しました。
「NTDs制圧は重要ビジネス領域」
エーザイは、LFをはじめとする顧みられない熱帯病(NTDs)の制圧に力を入れています。2012年から国際官民パートナーシップに唯一の日本企業として参画してDEC錠の無償提供や新薬開発に取り組んできました。NTDsの制圧は同社にとって「重要なビジネス領域」で、DEC錠の供給も、開発途上国の経済を発展させ、将来の市場形成をもたらす超長期投資という意味で「プライスゼロビジネス」と呼んでいます。柳氏らの試算は、その経済的価値を見える化したものだと言えます。
DEC錠の無償提供は、管理会計上では2018年以降、黒字になっているといいます。18年に当時エーザイのCFOだった柳氏が試算しました。柳氏によると、DEC錠の製造でバイザック工場の設備稼働率が上昇し、従業員のモチベーションや生産技術が向上。その結果、効率化されたバイザック工場に他製品の生産がシフトしたことで連結原価が下がったのだといいます。
柳氏は9月のESG説明会で「(DEC錠無償提供のような)インパクト投資が直接エーザイの業績を向上させるとは限りません。では何をもたらすのか。ポイントは3つです。1つは、従業員のモチベーションを高め、新たな人材を引きつける効果。2つ目は、ブランディングを含む顧客の獲得。そして3つ目が、長期投資家への訴求です。超長期の企業価値につなげることができます」と話しました。
SDGs実現へ、アフリカ市場に進出
エーザイはアフリカ市場への本格進出を控えています。今年度、南アフリカに現地法人を、ケニアに支店を設立する予定で、バイザック工場を供給拠点とした自社販売体制の構築を目指します。DEC錠の無償提供によって強化されたエーザイのブランド力は、アフリカ市場での成長を後押しすることでしょう。アフリカでは今後、抗がん剤「ハラヴェン」「レンビマ」や抗てんかん薬「フィコンパ」など自社製品へのアクセス拡大を目指すほか、新薬開発も加速。中国やインドで展開する遠隔診療も活用し、医療格差の解消に取り組むとしています。
NTDsに対する新薬開発では、臨床入りしている製品もあります。皮膚から感染し、手足に腫瘤を生じるマイセトーマでは、国際NPOのDrugs for Neglected Diseases initiative(DNDi)と共同でアゾール系抗真菌薬「E1224」の臨床第2/3相(P2/3)試験を実施中。LFでは、リバプール熱帯医学校、リバプール大と新規フィラリア成虫駆虫薬「AWZ1066S」のP1試験を行っています。このほか、多様なパートナーとともにシャーガス病やリーシュマニア症の新薬を開発中です。