細胞治療に遺伝子治療、核酸医薬品…。新たなモダリティは、製薬会社・製薬業界のビジネスにどんな影響を与えるのでしょうか。ヘルスケア分野で活躍するコンサルタントの増井慶太さん(アーサー・ディ・リトル・ジャパン プリンシパル)に語っていただきます。
連載第1回目となる今回は、新規モダリティの登場で製薬会社のセールスとマーケティングはどう変わっていくのか展望します。
■連載「モダリティ新時代」
【1】MR 高度化の要請―変わる製薬会社のセールス&マーケティング
【2】“機械屋”化する“薬屋”…製薬会社が医療機器メーカーから学ぶべきこと
【3】製薬再編 カギは医薬品卸に―進む“イノベーション”と“オペレーション”の棲み分け
ヘルスケア業界で起こるパラダイムシフト
ヘルスケア業界では今、「枠組み」と「技術」の両面において、パラダイムシフトの真っ只中にあります。
ヘルスケアの枠組みという面で言うと、「治療」から「健康維持」「予防医療・先制医療」という大きな流れがありますし、「医療施設におけるケア」から「コミュニティーにおけるケア」という空間軸の変化も加速しています。さらに、患者の自己決定がより重視される世界になってきていますし、プレシジョン・メディスンと言われるように治療の個別化も進んでいます。
一方、創薬や開発を含む、しかしそれに留まらない異業種産業起点の技術の進化も著しいものがあり、製薬会社自体も技術革新に対応していかざるを得ません。創薬ターゲットが枯渇する中、新しいモダリティに進んでいかなければ未来はない。製薬会社は今、そんな転換点を迎えていると言えます。
細胞治療に遺伝子治療、核酸医薬品、マイクロバイオーム…
最近よく耳にするようになったモダリティという言葉。直訳すると「様相」ということになりますが、実際にはどのような状況になっているのでしょうか。
今や創薬の主流となって久しい抗体医薬ですが、最近ではさらに進んでADC(抗体薬物複合体)や改変抗体(二重特異性抗体やリサイクリング抗体など)も実用化されています。
細胞治療や遺伝子治療の開発も進んでおり、日本でもCAR-T細胞療法「キムリア」や脊髄性筋萎縮症の遺伝子治療「AVXS-101」(いずれもノバルティス)が今年承認される見込みということで話題になっています。
ほかにも、核酸医薬品、オンコリティックウイルス(腫瘍溶解性ウイルス)、さらには定義にもよりますが、マイクロバイオーム、ワクチン、など。技術革新に伴い、創薬のモダリティは実に多様化しています。
市場に押し寄せる新規モダリティの波
製薬会社はこうした変化への対応を迫られているわけですが、その影響は研究開発にとどまるものではありません。
新規モダリティの波は今後、大きなうねりとなって市場に押し寄せてきます。当然、製薬会社のセールス&マーケティングも変革を求められるでしょう。医薬品市場では今後、新規モダリティ、特にバイオロジクスの占める割合が急速に拡大していきます。製薬会社は、今の何倍ものパワーとリソースをそこに投下することになるのです。
しかし、言葉は悪いですが、新しいモダリティというものは、販売する側にとってはかなり厄介です。
従来の医薬品の場合、MRは製品名と作用機序、競合製品、エビデンスを押さえておけばよかった。ところが今後はそれらに加え、疾患バイオロジクスやテクノロジー、製造を中心とするCMCや流通、そして患者の層別化など、非常に広範かつ高度な知識と臨床現場における手回しが要求されるでしょう。
直近で承認されたがん遺伝子パネル検査による複雑な投薬レジメンや、将来的に予想されるがんペプチドワクチンなどがその最たる例で、患者さんによって治療のプロトコルがまったく違ってくるような世界が想像されます。そのあたりに目配せをした情報提供・情報収集活動が必要になってきます。
セールス&マーケティングはどう変わるのか
モダリティの変化によって、製薬会社のセールス&マーケティングはどう変わってきて、今後どうなっていくのか。私はおおまかに「第1世代」「第2世代」「第3世代」という3つのくくりで考えています。
・ブロックバスターが隆盛した第1世代(~2000年代前半)
第1世代は、生活習慣病領域を中心に低分子のブロックバスターが隆盛した時代。製薬会社にとってはまさに春の時代で、おそらく最も収益性が高かった時代ではないでしょうか。
ARBひとつとっても5剤6剤あるような状況で、営業活動もシェア・オブ・ボイスの向上に重点が置かれていました。このころのMRに求められたのは、医師との関係性を構築する力。その裏で、ディテーリングの量を担保していくという世界でした。
・個別化医療が広がり始めた第2世代(2000年代後半~)
分子標的薬の登場により広義のプレシジョン・メディスンが広がり始めた2000年代後半からを第2世代と呼んでいます。
遺伝子変異に基づいて薬剤を使い分けるようになったので、営業活動のフォーカスも製品そのものから患者さんへと変化。個別の患者を念頭に置いた情報提供が求められるようになり、情報量ではなくエビデンスや情報の質がより一層重視されるようになりました。
MSL(メディカルサイエンスリエゾン)のような職種が台頭してきたのも、こうした流れに位置付けられます。MRにも、治療アルゴリズムや疾患バイオロジクスへの理解が求められるようになってきました。これが今の状況かと思います
・テーラーメイド型の治療が普及する第3世代(将来)
今後、新たなモダリティが市場に登場することで、製薬会社のセールス&マーケティングは第3世代に突入します。
よりミクロな単位で患者一人ひとりに治療を提供するような世界になっていくので、テーラーメイド型の情報提供が必要になります。ここまで行くと、営業活動においても、患者さんの体内(分子機構)や体況の理解に基づいた処方提案・治療提案が必要となってくることでしょう。
第3世代のMRは、治療アルゴリズムや疾患バイオロジクスはもちろん、データサイエンスにも明るくなければなりません。細胞を扱う治療では、製造や流通まわりの知識も必要になってきます。製品によっては、より診断・治療の現場に入り込んでいくような営業活動のスタイルが求められることもあるでしょう。
臓器から遺伝子に 診療科の区分も瓦解
MSDの免疫チェックポイント阻害薬「キイトルーダ」は昨年末、高頻度マイクロサテライト不安定性(MSI-High)が確認されれば、がん種を問わずあらゆる固形がんに使えるようになりました。さらに今年から遺伝子パネル検査が保険適用され、ゲノム医療が本格化します。がん領域では将来、診療科という縦割りの区分自体が瓦解するのではないかという指摘もあります。
臓器ごとでなく、バイオマーカーやゲノム変異ごとに適応が認められるようになると、製薬会社側も今のような診療科単位でのセールス&マーケティングではなく、治療のプロセスに応じた情報提供体制を構築することが必要になるかもしれません。
製薬会社はMRを減らしたがっている
モダリティの変化によってより高度な情報提供が求められるようになる一方、製薬企業と医療機関や医師とのあいだの不適切な関係をうかがわせるような事件が起こり、ここ数年で、MRが医師とフランクに情報交換するのは極めて難しくなりました。
コンプライアンスが大きなテーマとなる中、乱暴に言ってしまうと、MRの役割は「適正使用の推進」に限定されつつあります。一方で、MRには一人あたりにかかるコストは年間2000~3000万円。紙の資料やデジタル媒体でもできる情報提供を口頭で行うことにそれだけの価値があるのかという指摘は、真摯に受け止めなければならないのではないでしょうか。
従来型のMRは10年後存在しない
製品名と作用機序、競合製品、エビデンスを繰り返しつぶやくような従来型のMRは、率直に言って10年後は存在しないと思います。実際、製薬会社のマネジメント層と話しをすると、内資系企業も含めて「(従来型の)MRを減らしていかなければならない」というモメンタムを感じています。それは、営業出身の社長であっても、です。
ただし、MRの減少が不可避だったとしても、医療やサイエンスに関する高度な知識とコンサルティング能力を持った人材が求められるのは間違いありません。新たな技術から創出される新規モダリティの製品は、丁寧に説明しないと多忙な医師も理解しきれない。人を介した情報提供・情報収集活動がなくなることはありえないと思っています。
それが(MRやマーケターなどの)コマーシャルサイドが主導するのか、(MSLなど)メディカル部門が主導するのかはわかりませんが、そういったサイエンスの知見を持つ方々への市場ニーズが拡大するのは明らかです。自己研鑽やスキルアップのための努力が報われる世界になるとも言えます。
ですので、過度に悲観的に捉える必要はありません。年収アップ・キャリアアップのチャンスが訪れると、ポジティブに捉えることもできるのではないでしょうか。
増井 慶太(ますい・けいた)アーサー・ディ・リトル・ジャパン株式会社プリンシパル。経営戦略コンサルティングファームで、ヘルスケア/ライフサイエンス/医療産業に対するコンサルティングに従事。事業ポートフォリオ/新規事業開発/研究開発/製造/M&A/営業/マーケティングなど、バリューチェーンを通貫して戦略立案から実行支援まで支援。Twitter:@keita_masui |