
コロナ禍や働き方改革で医師の情報収集の形が変わる中、製薬企業のメディカル部門でもデジタルの活用場面が増えてきています。大塚製薬は、片頭痛領域でエキスパート医師による模擬診療動画を使った情報提供を展開しており、特に脳神経外科医に対してハート・オーガナイゼーションが運営する専門医向けプラットフォーム「e-casebook LIVE」を通じてアプローチを進めています。メディカル部門でのデジタル活用のヒントを探るため、両社に話を聞きました。
MAの役割は大きく変化、デジタル活用は欠かせない
――メディカル部門とデジタル活用の現状について教えてください。
泉達也氏(大塚製薬MA部CNSグループ長):メディカルの活動の最大の目的は、未解決の医療ニーズを解決し、患者さんに最適な医療を届けることです。患者中心の考え方が広がる中、当社を含めて多くの製薬企業がMA(メディカルアファーズ)を強化してきました。MAの業務は、2018年の臨床研究法施行と販売情報提供活動に関するガイドラインの通知によって大きく変化しました。
当社のMA部も、当初は臨床研究を通じた薬事承認後のエビデンス構築が主な役割でした。しかし、臨床研究法施行後は臨床研究のコスト増加、症例登録の難しさから臨床研究の数が減り、一方でデータベース研究の数が増加していきました。また、販売情報提供活動監視事業が始まり、企業側では適正な広告活動を確保するために環境整備が進みました。承認後の適正使用を進めるためには、添付文書や審査報告書に記載されている内容が重要な情報になります。そのため、薬剤が承認される前に、医療現場の課題を十分に把握し、それらの解決に寄与できる情報を治験や非臨床で収集しておく必要があると考えています。
われわれ神経領域チームが扱う片頭痛発作の発症抑制薬「アジョビ皮下注」(一般名・フレマネズマブ)は発売4年目。チームで医療現場の課題解決に向けた戦略の立案・実行を担っています。限られたリソースで多くの人に情報を届けるには、デジタルが欠かせません。特にコロナ禍以降は、自社の疾患啓発サイトやサードパーティーを通じた情報提供にデジタルを活用しています。
畑中佑介氏(ハート・オーガナイゼーションCOO):医師の情報収集もコロナ禍でデジタルシフトが進み、私たちが運営するe-casebookの会員もこの5年で5万人以上増加しました。現場の医師にとっても、デジタルは学会に続く情報交換・学びの場として浸透してきたと思います。リアルの復活や働き方改革の影響で、視聴トレンドはさらに変化しています。直近では決まった時間にアクセスしてもらうライブ配信より、オンデマンド視聴のニーズが伸びてきているように思います。
――片頭痛治療の課題は何でしょうか。
水木悠斗氏(大塚製薬MA部CNSグループ神経領域MSL):大きな課題の1つが、10%とも言われる受診率の低さです。多くの患者さんが「たかが頭痛」と考えています。受診したとしても、市販薬と同じような薬を処方されたり、「特に異常はありません」と言われたりして、その後の受診をやめてしまう患者さんも少なくありません。しかし一説では、受診を考えるような患者さんの8割程度は片頭痛を持っているのではないかとも言われています。
――そこまで多いとは…。痛みを我慢しながら働くことによる労働生産性の低下も指摘されています。
水木:頭痛の診療ガイドラインによると、片頭痛のプレゼンティーイズム(労働生産性の低下)による経済的損失は、年間3600億円から2兆3000億円に上ると言われます。また、市販の鎮痛薬を含む鎮痛薬の使い過ぎは、かえって頭痛を悪化させてしまう慢性化のリスクであることも分かっています。患者さんだけでなく、こうしたリスクは医師も半数近くは知らないという報告もあります。
治療進展も、少なかった学びの機会
――医療側にも課題があるのですね。何が背景にありますか。
水木:頭痛の患者さんが最初に受診するのはかかりつけ医(プライマリケア医)が最も多く、脳神経外科医、頭痛専門医、脳神経内科医と続きます。国内で頭痛に悩む人は4000万人と推定され、診療現場で接する機会は多い。一方、これまでの医学教育では、片頭痛や緊張型頭痛といった一次性頭痛について学ぶ機会は限られてきました。
近年、CGRP(カルシトニン遺伝子関連ペプチド)に関連した病態メカニズムが明らかになり、エビデンスベースの薬が相次いで登場したことで頭痛治療は進展しています。専門医を目指す医師も増えていますし、医師の片頭痛に対する学びの意欲は高まっていると感じます。
そこでわれわれは、「エキスパートの医師の診療風景を覗く」というコンセプトで、模擬診療動画を作成しました。血液検査などの客観的な指標で判断できない一次性頭痛の診断をどう行うか、教科書的な基準から踏み込み、問診の進め方などのコツを体系的に学ぶことができるコンテンツです。
――ユニークなコンセプトですね。
水木:約3年前、私自身はMRとして活動していたころですが、KEE(社外医科学専門家)とのやりとりから生まれたアイデアだと聞いています。動画が完成してからは、プライマリケア医への啓発に注力しながらサードパーティーも活用しつつ、学会などでも大塚主催の講演会を通じた情報提供を行ってきました。
ただ、プライマリケア医の次に頭痛患者の受診が多い脳神経外科医の参加は多くありませんでした。手技(オペ)もあり、多忙な医師にアプローチすることができていなかったんです。そこで23年から、脳神経外科医と強いコネクションを持つe-casebook LIVEを使ってライブ配信を始めました。模擬診療とエキスパートの講演を組み合わせた配信には思った以上に関心が寄せられ、「医師は一次性頭痛の診療を正しく行えているか、不安があるのではないか」という仮説に自信を持つことができました。
現在は定期的なライブ・オンデマンド配信のほか、e-casebook上でいつでも模擬診療が見られるコンテンツの配信も行っています。回を重ねるごとにすそ野が広がっており、コンテンツの視聴時間も8割以上と、MAのリソースが少ない中でも効果的な情報提供ができているのではないかと考えています。
昨夏に行ったハイブリット形式の講演イベントの様子(リアル会場・大塚製薬提供)。e-casebook LIVEの活用で例年の3倍以上の参加者を集めることができたという
「専門性の高い情報こそ好まれる」は思い込み
――プラットフォーム側から見るとどうですか。
畑中:e-casebookのユーザーは、学会や研究会を通じて会員となった医師がほとんど。ポイントなどのインセンティブは用意していないので、サイトを訪れる医師は教育コンテンツへの関心が高いのが特徴です。製薬企業との連携ではこれまで、製品の適正使用についてターゲット医師に訴求する=マーケティング目線での活用が多かったのですが、水木さんたちとの取り組みを通じて、学びたい意思の強い医師とメディカルによる中立的な情報発信との親和性の高さをあらためて感じました。
さらに言うと、これまでわれわれが単独で行ってきた脳神経外科医への情報提供は、脳血管内治療や脳腫瘍といった、サブスペシャリティ寄りのものが中心でした。専門性の高い医師にはそうした情報が好まれるのではないかと考えていたんです。でも、蓋を開けてみると、そうした専門的な内容と同様にも、頭痛診療に関するライブ配信も多くの視聴者を集めた。私自身、「医師の興味は専門の範囲に集中している」という思い込みがあったことに気づかされました。
専門医の間にも、日常的に診る疾患へのニーズが明確にあり、そこへ情報発信していくことの重要性を実感しました。もちろん、普段から積極的に情報収集をしているわけでないからこそ、「見たい」と思ってもらう工夫が欠かせません。それは、われわれプラットフォーム側も一緒になって努力すべき点だと思っています。
水木:数あるイベントの中からMAの企画を選んでもらうための工夫は本当に大切だと思っています。業界全体でMSL(メディカルサイエンスリエゾン)は増えていますが、普段接するKEE以外の医師にはまだ「営業の学術担当」と思われていることも少なくありません。第一にMAの存在意義を伝えていく活動が必要ですし、「もっと疾患にフォーカスした情報を得たい」と思っている医師の目に留まるよう、われわれは取り組んでいかなければと感じています。
それとともに、効果検証にもより力を入れていく必要があります。MAの活動は売り上げで成果を測ることができません。片頭痛領域では、受診率や予防療法の実施率、あるいはイベントに参加した医師の学会への入会や認定専門医の取得状況などが主な指標となりますが、いずれも行動変容までスパンが長い。デジタルツールを使うときこそ、医師の情報収集のニーズに応えられているかをしっかり検証していくべきだと考えています。
(左から)ハート・オーガナイゼーションの畑中氏、大塚製薬の泉氏と水木氏
――今後の活動でデジタルをどう活用していきますか。
泉:医師の診療科や年代によってアプローチを使い分けていく必要性を改めて実感しています。各プラットフォームの特性を理解することももちろん、そもそもデジタルとの親和性も異なります。
いくつかのサードパーティーを使う中でわかってきたのは、比較的若い医師はデジタルを通じて最新のトレンドを知りたいと考える傾向が強いということ。一方で、学会で情報を得る先生も数多くいるので、学会での情報発信もこれまで通り必要と考えます。頭痛領域では、中心となる日本頭痛学会と先述の親和性の高い各診療科の学会との共催シンポジウム等の開催の橋渡しの役目もMAが担っていけたらと考えております。
水木:頭痛診療の偏在の解消もデジタルで成し遂げたい目標の1つです。全国に1000人ほどいる頭痛学会の認定専門医と、各エリアのプライマリケア医の連携を促すツールの作成を進めています。
泉:われわれのビジョンは、メディカル活動を通じて世界の患者さんを笑顔にすること。いま水木が話したツールも、その実現に向けた手段として考えています。また、2月22日の「頭痛の日」に合わせて啓発動画を公開するなど、一般の方への疾患認知を高める活動にも力を入れています。自社の製品にこだわらず、疾患に付随する課題を患者さん中心で考え、医療環境を整えていく活動のハブになっていきたい。それができれば、MAは今以上に医療に貢献できる存在になれるのではないかと思っています。