スタート目前となった「医師の働き方改革」。顧客との接点の減少が懸念される中、製薬企業の営業も変化を迫られています。医療機関によって対応は異なるものの、中には面会や講演会を業務時間内に限るなど厳しいルールを設けるところも出てきています。
そうした中、日本イーライリリーは、製薬企業の情報提供活動に対する医師のニーズを調査。157人の医師に「望ましい情報提供チャネル」を直接尋ねて回ったところ、年代に関わらず8割以上の医師が「MRとの直接面会」を挙げる結果となりました。
「押しかけ営業」から「コーディネート営業」へ
プロジェクトを主導したリリーの女性MR5人は、2月に都内で開かれた「新世代エイジョカレッジ(エイカレ)サミット 2023」(※)で調査結果を発表。「MRの存在意義を確認でき、自信が持てた」と話しました。イベントに出席した別の製薬会社の役員も「勇気をもらえる結果だ」とコメント。「MR不要論」も聞かれる中、直接面会することの価値を再確認する形となりました。
※営業女性(エイジョ)にとって働きやすい社会の実現を目指して2014年に発足した業種横断のプログラム。23年度は「~次の10年の未来を創る~エイジョが営業TOPになったら…」をテーマに開催した。
一方、調査結果を詳しく見てみると、20~30代の医師は、直接面会だけでなく複数の情報提供チャネルを求めていることがわかりました。現実問題として医師がMRとの面会に割ける時間が減っていく中、従来型の「押しかけ営業」から、情報提供の内容やタイミングに応じてチャネルを使い分ける「コーディネート営業」へと変化していくことが必要なのは明白です。
そこでプロジェクトチームは、普段、直接面会している医師にオンラインでの面会を提案し、反応を検証。同社では、コロナ禍が落ち着いて以降、一部の営業活動は直接面会を中心とする形に戻っていたといいますが、医師からは「より専門的な担当者にすぐ情報提供を受けることができ、良かった」といった声が上がり、多くの医師が情報提供の選択肢にオンライン面会を加える結果となりました。
プロジェクトを主導した1人、糖尿病・成長ホルモン事業本部の中山仁美さんは、「医師に会うときは私たちが直接足を運んで待つべきだという思い込みがあった。オンラインでも時間をもらえるとがわかり、自分自身の活動を変えるインパクトにもなりました」と話します。医師からはほかにも、SlackやLINEといったツールを希望する声も聞かれました。
プロジェクトを主導した5人のMR。左から藤田百合絵さん、斎藤ほたるさん、青川ひかりさん、西前茉実さん、中山仁美さん(西前さんは中枢神経事業本部、ほか4人は糖尿病・成長ホルモン事業本部。所属はプロジェクト開始時点)
「業務」だと思ってもらえる面会を
チャネルだけではありません。医師にニーズを直接聞いたことで「情報提供のタイミングにも思い込みがあった」と話すのは糖尿病・成長ホルモン事業本部の青川ひかりさん。「訪問は診療時間後や昼休みに行うのが一般的です。ただ、よくよく医師に話を聞いてみると『昼過ぎの検査待ちの時間がいい』とか『昼休みに来ていいと言っているけれど、50分はしっかり休みたいので最初の10分で来てくれたら嬉しい』など、本当のニーズが見えてきました」
リリーは昨年のエイカレで、40の営業の成功事例をもとにMRがカスタマイズして使える顧客提案のフレームワークを作成する取り組みを発表し、審査員特別賞を受賞しました。今後は、これに医師へのヒアリングで把握したニーズを盛り込み、AIも駆使してより精度の高い提案を行えるようにすることを検討していけたらといいます。「顧客に聞くというのはシンプルなアクションだが、医師とMR、双方の生産性向上につながるのではないか」と彼女たちは考えています。
「今回やってみて『今まで自分たちで直接、顧客のニーズを聞いたことがあっただろうか』『マーケティングから下りてくることを鵜呑みにしていなかったか』と振り返る機会になりました。本当に顧客を理解して営業できていただろうか、と背筋が伸びる思いでした。真に医師のニーズを満たすことができれば、顧客に呼んでもらえるMRになれるはず。それが私たちが目指すべき姿であり、『MRと会うことは患者にためになるのだから、これは業務だ』と思ってもらうことが必要だと思っています」(中枢神経事業本部の西前茉実さん)。
「信頼」左右する情報提供、処方意向にも影響
情報提供活動を通じた顧客との信頼関係は、医師の処方意向にもダイレクトに響きます。PwCコンサルティングが昨年行った調査によれば、企業への信頼が上がるほど、その企業の製品に対する処方意向はポジティブに変化します。
調査によると、信頼の醸成につながりやすいのは▽サイエンスや臨床の観点で質の高い情報を提供すること▽医師の関心・要望に沿ったコミュニケーション――など。特に、客観性や納得度など情報提供の質が高くなるほど信頼は強まるといい、質の担保にはメディカルとの連携も重要な要素となります。
メディカルの活用は企業や領域によって異なります。PwCコンサルティングによると、たとえば糖尿病領域では、トップシェアの企業はMRによる情報提供に重点を置いているのに対し、それを追いかける企業はMSLを積極的に活用しているといいます。一方、がんをはじめとするスペシャリティ領域では、MRだけでの情報提供に限界が出てきており、領域専門メンバー(SME)やMSLとのチーム連携がより重要となっています。
MRとMSLの連携といっても、両者が一緒に面会するだけではうまく信頼の構築につながると限りません。PwCコンサルティングの伊藤賢ディレクターは「しっかりと顧客満足度を得るためのシナリオを描く必要があります」とし、「営業とメディカルの両方を理解したメンバーがハブとなることでその動きは加速できるでしょう」と話します。
「さらに言えば、経営サイドが営業・マーケティング戦略とメディカル戦略を統合して考えていく必要があります。(メディカルは)売り上げを目標に据えることは当然できませんが、顧客満足度など営業とメディカルで共通する指標を目標とすれば、タッグを組むことは決して難しいことではないと思います。もっと顧客視点で考えて行く必要があるのではないでしょうか」(伊藤氏)。
「必要とされる瞬間以外は訪問しない」くらいでいい
エイジョカレッジを取材したあと、会場にいた日本イーライリリーの木澤雄次人事本部長に「これから必要とされるMR」について聞いたところ、次のような答えが返ってきました。
「医師のニーズが多様化する中、必ずしもすべての情報をMRを通じて提供する必要はありません。MRは自社製品のことを話しに行くだけではなく、自分が届けられる情報を理解し、必要に応じてメディカルや他院の医師につないでいくことを判断していく必要があります。
私も営業の現場に同行することがあるのですが、先日訪問したがん領域の医師に『どんなときにMRと話したいですか』と尋ねたら『命に関わる重要な決定をするときに人と話したい』という答えが返ってきたんです。『目の前の患者さんに薬を使っても本当に大丈夫か確認したい』と。
私は、こういう瞬間に頼ってもらえる、そういう信頼関係を築けるMRこそ、これから必要とされるMRだと思います。
極端な話をすると、『必要とされる瞬間以外は訪問しない。ほかのチャネルを使って連絡する』くらいでいい。顧客のことを理解し、自分が向かうべきタイミングをしっかり握っていることが何より重要です。誰に何を言われようと、『顧客が求めているからこうします』と、医師のニーズにアンカーポイントを置いて自分で判断できるMRが求められています」