製薬業界が「治験同意説明文書」(ICF)の統一化に動いています。現在は製薬企業をはじめとする治験依頼者が個別に作成していますが、日本製薬工業協会(製薬協)の医薬品評価委員会臨床評価部会が昨年、タスクフォースを立ち上げ、テンプレートの共通化に着手。今年3月にもリリースする予定です。臨床試験のグローバル化を念頭に、依頼者と実施医療機関の双方の負担を減らし、効率化につなげたい考えです。
修正やり取り、大きな負担に
ICF(Informed Consent Form)は、臨床試験への参加を検討する患者に対し、その内容や目的、リスクなどを説明し、同意を得ることを目的とした文書です。製薬企業などが疾患領域や品目ごとに作成して治験実施医療機関に提示し、そのまま利用されるか、各医療機関のテンプレートに合わせて修正が加えられます。
ただ、修正する場合は実施医療機関と製薬企業の間でやり取りに膨大な時間を要し、双方にとって大きな負担となっています。国内で行われる臨床試験の約6割がグローバル試験となる中、症例登録を遅らせる要因にもなっており、業界もテンプレートの共通化が必要との認識を持っていました。しかし、共通化しても使用するかどうかは各社の判断となれば、企業版とのダブルスタンダードとなる懸念も拭えず、着手が遅れていたのが実情です。
そこに一歩踏み出したのが、製薬企業の研究開発部門長らで構成する「R&D HEAD CLUB」です。2021年から実態調査を行い、共通化の実現に向けた活動を開始。22年には、治験責任医師、治験コーディネーター(CRC)、治験審査委員会(IRB)委員などによるタスクチームを立ち上げ、同年10月に共通テンプレートの初版を発行しました。
製薬協もこの動きに同調し、任意の集まりであるR&D HEAD CLUBの取り組みから、業界全体を巻き込む形へと展開を広げました。製薬協が作成中の共通テンプレートは「治験の要約」「治験に関する一般的な説明」「この治験に関する説明」「追加および詳細情報」の4部で構成。R&D HEAD CLUBの初版を基本に修正を加えてドラフトを完成させ、患者会や弁護士、医療機関などから意見を聞き、3月にも最終決定する予定です。
企業側、患者の意見取り入れ
製薬企業もこの間、「ペイシェント・エンゲージメント」(患者との協働)の視点から個別に見直しに取り組んできました。
ノバルティスは2016年に初めて、がん領域のICFと治験プロトコルについて患者から意見を聞く取り組みを行ったところ、「上から目線で、文字ばかりで見づらい。なぜこの検査が必要なのかわからない」といった不満や疑問が顕在化。自社では気付けなかったことを多く指摘されたことで、テンプレートから見直していくことを決めました。19年にタスクチームを設置し、5人ほどの患者にチェックしてもらいながら約3カ月かけて修正しました。
修正後のICFでは、副作用に関する用語をわかりやすく一覧表にまとめているほか、図表も多用しています。取り組みを主導した広報統括部ペイシェントエンゲージメントグループの鈴木和幸シニアリードは、患者の意見を踏まえたICFの見直しについて「製薬企業として何のために新薬を開発しているのかということに立ち返ることができる。全く違う視点がそこにある」と指摘。製薬企業の多くが掲げる“患者さんのために”は「文化の醸成として使われる側面もあるが、具体的にどう落とし込むかが課題」で、ICFはその実践例になると話します。
中外製薬は患者をパートナーととらえ、19年から医師が持ち得ない「疾患の経験者」としての情報やニーズを聞き取ってきました。そこで最も多かった意見が「言葉の選び方」。患者が読むことをイメージしてはいるものの、専門用語が多くなりがちで分かりにくい印象を与えていたようです。
患者の気分を害する表現にも気付かされました。臨床開発業務部リスク・渉外グループの浅尾佳寛氏によると、実薬とプラセボに5対5で割り付けるランダム化試験を平易に説明しようとして「コイントスのように」と記載したところ、「人生をかけて参加するのだから、そうした言い回しはやめてほしい」と指摘されたこともあったといいます。
通院時の拘束時間や検査内容をイメージできる記載を求める声もあり、中外ではこうした意見を参考に各試験で共通する部分についてテンプレートを手直ししてきました。
当局に「お墨付き」要請
医療機関側も見直しを進めてきました。国立がん研究センター東病院では、副作用リスクの記載を文章から一覧表に変更。カテゴリ別、発現率ごとに記載することで、患者がイメージしやすいよう工夫してきました。高頻度に発生する副作用については内容を詳しく説明し、対処法も示すことで安心感が得られるよう配慮しています。
ICFの共通化は、分散型臨床試験(DCT)の1つの要素であるeConsentの普及にも寄与するとみられます。製薬協の共通テンプレートは4月以降、本格的に利用が開始されることになりますが、ほとんどの企業と医療機関が利用してこそ価値を発揮します。製薬協医薬品評価委員会臨床評価部会の松澤寛部会長は、任意の形では利用が広がらないことも考慮し、厚生労働省とPMDA(医薬品医療機器総合機構)に協力を要請。事務連絡で周知するなど「何らかのお墨付き」を得られないか、調整を進めています。
企業に対しては、社内や院内での説明に使えるサポート資料の作成を準備しています。独自に見直しを進めてきた中外製薬は共通テンプレートについて「各社バラバラであることによって医師やCRCに困り事があったのは事実」(浅尾氏)と指摘。業界全体でプラスの効果があると判断し、活用に前向きです。ノバルティスも自社テンプレートは使用しない方針で、「当局のお墨付きがあれば医療機関側も使うはず」(鈴木氏)と考えています。
「臨床試験のグローバル化への対応」と「患者との協働」という2つの文脈で進んできたICFの見直し。共通化が実現すれば、企業と医療機関の煩雑なやりとりや非効率の解消が期待されそうです。