オーストリア発・日本企業に生まれ変わった再生医療ベンチャーが「条件付き早期承認制度は使わない」と判断した理由―イノバセル・コーリンCEO/ジェイソンCOO|ベンチャー巡訪記
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亀田真由
製薬業界のプレイヤーとして存在感を高めるベンチャー。注目ベンチャーの経営者を訪ね、創業のきっかけや事業にかける想い、今後の展望などを語ってもらいます。
イノバセルは、便失禁や尿失禁に対する細胞治療を開発する再生医療ベンチャー。もともとはオーストリア・インスブルック医科大学のスピンアウト企業で、日本での上場を目指して2021年に日本企業として新たなスタートを切りました。リードパイプラインの切迫性便失禁治療薬ICEF15は、欧州と日本で臨床第3相(P3)の国際共同治験を進めています。
ノビック・コーリン イノバセルCEO。韓国で生まれ、2歳から日本(神奈川県)で育つ。米コーネル大卒業後、2007年にトーマツ・コンサルティング(現デロイト・トーマツ・コンサルティング)に入社。日興コーディアル証券(現SMBC日興証券)を経て、12年末に再生医療に特化したアドバイザリー・ファームCJ PARTNERSを設立。22年から現職。
シーガー・ジェイソン イノバセルCOO。香港生まれ、日本(群馬県)育ち。米テンプル大の日本校を卒業後、07年にトーマツ・コンサルティング入社。2011年にSMBC日興証券に転職し、翌12年末にコーリン氏とともにCJ PARTNERSを設立。21年にイノバセルバイオテクノロジーAG(オーストリア)の活動成果を基盤とするイノバセル株式会社を設立し、COOに就任。 |
海外生まれ、日本育ちの2人
――お2人の生い立ちと、再生医療に取り組むようになったきっかけを教えてください。
コーリン:私たちは生い立ちがよく似ています。私が韓国生まれで、ジェイソンが香港生まれ。2人とも幼いころに親の仕事の都合で日本に来て、日本で育ちました。
その後、私は米国コーネル大に入学しましたが、1年生のときに1型糖尿病を発症し、インスリンを打たないといけない身体になりました。化学を専攻していたこともあり、当時、サイエンス関連の授業をとりながら自分の病気について調べてみると、根治の治療法として期待される膵島移植(日本では2020年に保険収載)というものがあることを知った。一種の細胞治療であり、その存在を知ったころから「再生医療をやりたい」という気持ちを持っていました。
ジェイソンに出会ったのは、大学卒業後、2007年にトーマツ・コンサルティング(現デロイト・トーマツ・コンサルティング)に入社してからです。入社してすぐ、人事部に「君と同じくらい日本語を使いこなせる米国人学生に内定を出したから、入社を説得してきて」と言われたんです。
ジェイソン:そこで意気投合し、まんまと説得されました。デロイトの時は、私が保険、コーリンが銀行・証券のチームで働きました。
コーリン:一緒に仕事をするようになったのは、私が日興コーディアル証券(現SMBC日興証券)に転職して1年が過ぎた2011年あたりでしょうか。「(忙しくて)埒が明かない。もう1人自分が必要だ」と思ってジェイソンに電話をかけました。
初めて2人同じチームで働いたのは、現在のイノバセルの株主でもあるアイロムグループ(株主としてアイロムグループ以外にも同社子会社のIDファーマがいます)の中期経営計画策定の支援でした。アイロムは当時、再生医療への参入を考えており、中計にその種を植えたことを覚えています。
そのとき、アイロムの森(豊隆)社長が「再生医療をもう少し見ておいたほうがいい」と言ってくれました。それを聞いて調べていくうちに「先取りしなきゃ」という思いが強くなり、改正薬事法(薬機法)が導入されるのに先駆けて、2012年11月に2人でCJ PARTNERSという会社を立ち上げました。
ノビック・コーリンCEO
――CJ PARTNERSは、再生医療領域で国内外のベンチャー企業に経営コンサルティングを行う企業ですね。
ジェイソン:CJ PARTNERSを立ち上げた理由の1つは、国内外のバイオベンチャーのPMDA(医薬品医療機器総合機構)対応を支援することで、イノバセルはクライアントの1社でした。
イノバセルは当時から品質、安全性、臨床のすべてにおいてしっかりとしたデータを持っており、なおかつ競合がいないという状況でしたが、オーストリアのインスブルックが拠点だったということもあり、資金調達には苦労していました。
コンサルとして関わり始めたのは17年でしたが、そこから紆余曲折あり、イノバセルは19年に資金難に陥りました。「なんとか投資家が見つからないか」と相談を受け、詳細は省きますが非常に早いペースでターンアラウンドさせ、会社を救うことができた。
私たちとしても日本で再生医療の成功事例を作りたいという思いがあり、その後、日本での上場の可能性を模索し、最終的には三角合併によって日本にヘッドクオーターを移しました。そうして、21年の初めに今のイノバセル株式会社が生まれ、私が代表取締役COOとなりました。
シーガー・ジェイソンCOO
コーリン:私たちにはCJ PARTNERSのビジネスもあったので、当初は社長を外部から採用しようと思っていました。でも、投資家は「この会社を日本で上場させて、海外に向かって『ここに日本あり』と説明できるのは君たちしかいない。私たちが次の20年を託したいのは君たち2人だ」と言う。考えに考えを重ねて、共同でイノバセルの代表となることを決め、22年3月に私が代表取締役CEOに就任することになりました。
本承認のほうが患者にとっても望ましい
――日本での上場を考えたのはなぜですか。
ジェイソン:条件付き早期承認制度の活用を考えていたことが大きいですね。イノバセルでは、私たちがコンサルタントとして関わる前から、同制度を使うことで欧州より先に承認を取る可能性について検討していました。
コーリン:もともとはリードパイプラインの「ICEF15」の条件付き早期承認を目指して日本単独の試験を行うことを考えていました。ですが、欧州での臨床第3相(P3)試験が進むスピードが想定よりも早く、日本で別の試験を走らせるよりも国際共同治験として進めるべきだと判断しました。
ジェイソン:条件付き承認ではなく、本承認を目指すことを決断したのは(会社にとって)大きかったですね。条件付き承認制度は非常に良い制度ですが、承認は「有効性を示唆するデータ」に基づきます。一方、本承認は有効性を証明するデータに基づくので、医師としては使用しやすい。患者にとってもそのほうが望ましいですし、われわれにとっても、臨床試験に関わっていない施設に普及させていくことを考えるとそのほうが良いと思っています。
コーリン:日本でも1例目の患者がそろそろ組み入れられる所まで来ており、私たちとしては非常に良い形でスタートを切ることができたと思います。これから、米国も同じ試験に加えることができるかどうか検討を進めるつもりです。ただ、すべてがバラ色とは言えません。試験は欧州10カ国と日本の計33施設で行っていますが、思っていた以上に施設の立ち上げに時間がかかっている。それでも、欧州と日本で別々に試験を行うよりはずっと効率的にできていると思っています。
――ICEF15について詳しく教えてください。
コーリン:ICEF15は切迫性便失禁を対象とする細胞治療です。切迫性便失禁は外肛門括約筋の障害が原因となって起こる疾患で、便意は感じるものの、トイレまで我慢できずに漏れてしまいます。
ICEF15は、骨格筋由来の筋芽細胞を使った自家細胞製品であり、培養した筋芽細胞を患者さんの肛門括約筋に局所投与することで、傷ついた筋肉の再生を目指します。
筋トレをすると筋肉が大きくなるといいますが、筋肉はもともと再生する臓器です。骨格筋の幹細胞であるサテライト細胞は損傷を受けると活性化され、筋芽細胞に分化。増殖した筋芽細胞が損傷部位に入り込み、多核細胞と一体化することで筋組織が回復します。
ICEF15はこの仕組みに便乗したもので、要は援軍細胞を送っているだけなんです。筋肉を動かしさえすれば生着するはずなので、投与後、4週間にわたって朝晩20分ずつPFES(骨盤底筋電気刺激)機器で電気刺激を与えます。
――ICEF15のほかにも、ICES13とICEF16という2つの細胞治療を開発しています。
コーリン:ICES13は、ICEF15と同じく筋芽細胞を使った細胞治療で、腹圧性尿失禁の治療に使用します。腹圧性尿失禁は咳やくしゃみ、運動などによって腹腔の圧力が高まると、自分の意志と関係なく排尿してしまう疾患で、尿道括約筋や骨盤底筋群が弱ったり傷ついたりすることが原因で起こります。尿道括約筋は外肛門括約筋より小さいので、細胞の数もICEF15の6割ほどで済みます。これまでに、P1試験と後期P2試験でエンドポイントを達成しました。
ICEF16は漏出性便失禁を対象とするもので、こちらは平滑筋細胞を使っています。平滑筋は内臓にある筋肉で、不随意筋といって、自律神経によって支配されているため、自分の意思によって動かすことができない筋肉です。外肛門括約筋の内側にはもうひとつ筋肉のリング、内肛門括約筋があり、これをターゲットにしています。
漏出性便失禁は切迫性便失禁と同様に筋肉に起因しますが、平滑筋の機能不全で起こる漏出性は気づかないうちに漏れてしまいます。切迫性か漏出性かはっきりしている場合もあれば、混合性の患者さんも一定数いて、切迫優位、漏出優位と分けられます。ICEF15の開発が先行していますが、ゆくゆくは両方を治療できるようにしたいです。
ただ、製造の観点からいうと、培養が容易なのは骨格筋由来の細胞です。平滑筋への分化とその培養は、試行錯誤を繰り返してようやく数年前に突破口を見出すことができました。もう少し非臨床試験を進めればファースト・イン・ヒューマン試験ができるところまできています。
――競合がいないのはなぜなのでしょうか。
コーリン:理由はいくつかあります。たとえば、お金の問題。希少疾患や致死率の高い疾患と異なり、便失禁や尿失禁は国からの助成金が集中するような領域ではありません。
加えて、オーファンだと大規模試験を行わずに早めに上市することができ、特許の保護期間が延長されたり、薬価が高めについたりすることが多い。試験にあたって抑えるべき病院の数も少なく済みますから、戦略的な選択としては(希少疾患などを選んだ方が)メイクセンスです。そうしたこともあって、資金調達は難しい。
ただマクロトレンドをみると、2018年ごろに日本でも大人用おむつの使用者数が子供用おむつを超えました。ストーマの世界最大手コロプラストの時価総額も長く3兆円を超えています。この領域は、着目する企業こそ少ないものの、上手くいけばかなり大きく成功します。競合がいないから、先に上市できたものが勝っていく。そういう構図だと思います。
市場が大きくなっているということは、それだけ困っている患者さんもいるということです。私たちは、便失禁や尿失禁は開発されるべき疾患領域だと思っています。私自身が1型糖尿病という慢性疾患の患者だからこそ、患者さんのQOL向上につながる最先端の医療を早く届けたい。
27年の販売開始を想定
――実用化のめどについて教えてください。
ジェイソン:タイムラインとしては、現段階では27年くらいの販売開始をイメージしており、すでに複数の製薬企業とそれ向けた協議を行っています。われわれがまだアーリーステージであれば、商業化はほかのバイオベンチャーのように純粋なライセンスアウトが前提になると思いますが、もうP3まで来ているので、コ・プロモーションなどの選択肢も当社にはあると考えています。
コーリン:便失禁は女性に多い疾患ですから、たとえば肛門科は自社で扱い、婦人科はパートナーにお願いするという考えもありえます。日本と欧州はもちろん、今後開発を始めるアメリカでも協議を進めています。
――上場については。
ジェイソン:プランでは、来年の後半あたりを想定しています。
――これからの再生医療領域をどのように展望していますか。
コーリン:市場はこれから急成長の時代を迎え、思っている以上に承認品目数は増えていくのではないかと思っています。
注視したいのは自家細胞製品です。われわれの開発品は自家細胞を使っています。ビジネスモデル上、他家のほうが良いと考える人は多いですが、便失禁の治療で免疫抑制剤を打ってもらうのはハードルが高い。
そうした中、自家細胞の製造原価を下げることができる技術が少しずつ増えてきています。自家であるべき疾患は便失禁や尿失禁以外にもあると思いますので、新しい製造技術によってまた自家が台頭するんじゃないかと思っています。
ジェイソン:細胞治療製剤や遺伝子治療製剤はどうしても薬価が高くなりがちですが、承認品目が増えてきたときに、それを医療経済的に支えられるかというのは議論になると思います。そのときに、既承認薬の原価を下げるための新しい製造技術を使うためにどうすればいいかという規制当局側のガイドラインも必要になってくるのではないでしょうか。
コーリン:CJ PARTNERSでPMDAの対面助言・事前面談を支援してきた経験から思うのは、日本のガイドラインは本当にわかりやすい。今後、欧米でも法改正が進んで、新しいガイドラインが出てくると思いますが、ここは日本にリードを維持してもらいたいですね。叶うのであれば英語で(ガイドラインを)出してもらえると、日本にもどんどん海外のバイオベンチャーが入ってくるのではないかと思います。
今、海外のバイオテックから開発品目をライセンスインするための一時金が重たくなり始めています。国内の中小企業には手が届かない金額になり、ドラッグ・ロス、ドラッグ・ラグが加速しかねません。海外のバイオテックは、日本で開発したほうがいいと考えれば自分たちで来ますから、そこのハードルを低くすることが大切だと思います。
――その中で、イノバセルとしてやりたいことはありますか。
ジェイソン:実は、コ・プロモーションを1つの可能性として考えている理由は、将来、イノバセルを通じて他社の品目を日本や欧州に持ってきたいと考えているからなんです。
イノバセルを創薬・開発だけでなく、最終的にバリューチェーン上で商業化・販売も担える会社にできれば、もっと面白い存在になれると考えています。それがビッグピクチャーですね。そのためにもまずは、P3試験を進めているICEF15で成功事例を作ります。
(聞き手・亀田真由)