厚生労働省やPMDA(医薬品医療機器総合機構)で薬事行政に携わった経験を持つ5人の有志が、「みんなが使える」をコンセプトとした治験審査委員会(IRB)を立ち上げました。設置者の一般社団法人「日本臨床試験倫理審査機構」で代表理事を務める一法師兼茂さんは「IRBのあり方に一石を投じ、日本の治験の効率化につなげたい」と話します。PMDA調査専門員などを経て製薬企業でGCP監査や開発薬事に従事し、退職して法人を設立した一法師さんに、「みんなが使えるIRB」設置の経緯や狙いを聞きました。
IRBのあり方に一石を投じる
――今年5月に一般社団法人を設立し、6月に同法人を設置者とするIRB「Centriol-ONE」(セントリオール・ワン、正式名称・日本臨床試験倫理審査機構治験審査委員会)を立ち上げました。立ち上げの背景と経緯を教えてください。
私はもともと地方公務員で、厚生労働省に出向し、PMDAでGCP実地調査や適合性書面調査に従事していました。PMDAにいたのは今から10年以上前のことですが、当時から日本の治験のあり方、特にIRBについて「被験者保護という本質を保ちつつ、中立性と効率については改善できる余地があるのでは」という思いを持っていました。
出向期間が終わってIRB事務局などの業務に従事したあと、私は民間企業に転職し、製薬企業でGCP監査や開発薬事といった業務に携わることになるのですが、そこでも「開発効率化のためにセントラルIRBを活用したいが、特定の分野ではなかなか利用が進まない」という声を社内外で耳にしました。治験を実施する側とそれを規制する側の両方から治験関連業務に携わってきた経験を生かして私に何かできることはないかと思い、かつて厚労省やPMDAで一緒に仕事をしていた仲間に声をかけたところ、「業界に一石を投じるようなIRBをつくろう」ということになり、法人を設立してIRBを始めることになりました。
立ち上げに関わったのは私を含めて5人。もちろん現職の職員はいませんが、5人ともかつて厚労省やPMDAで薬事行政に携わっていた人物です。この中には、国立系病院の薬剤部長経験を持つ大学教授や、医師として病院で働いている者もおり、規制当局、医療機関、治験依頼者、それぞれの立場で治験を見てきた現場をよく知るメンバーで構成されています。また、私を含む3人はIRBの委員でもありますので、運営だけでなく審査にもそういった経験を生かせるのではないかと考えています。
進まぬ「セントラル化」
――IRBに対する問題意識について、もう少し詳しく教えていただけますか。
日本の治験はコストが高く時間もかかると言われますが、IRBのセントラル化が進んでいないことも一因であるとされています。どのIRBに審査を依頼するかを判断するのはもちろん各医療機関ですが、治験を依頼する製薬企業としては、同じ臨床試験に参加する施設がそれぞれのIRBで審査を行うのは、海外と比較すると、効率、手間、スピード、コストの面で課題になります。そのため、スポンサー側としては一括審査が理想ですが、日本ではまだ全医療機関の6割近く(延べ数)が自施設のIRBで審査を行っているというデータもあります。こうした状況は10年以上前からほとんど変わっていません。
一法師兼茂(いっぽうし・かねしげ)一般社団法人日本臨床試験倫理審査機構代表理事、日本臨床試験倫理審査機構治験審査委員会(通称=セントリオール・ワン)委員長。2003年静岡県庁入庁。厚生労働省に出向し、PMDAでGCP実地調査などに従事。静岡県庁に戻り、治験ネットワークの運営と医療機関IRB事務局を経験したあと、11年に民間に転職。CROや製薬企業で治験関連業務に携わる。23年に外資系製薬企業を退職し、日本臨床試験倫理審査機構を設立。薬剤師。 |
――セントラル化が進まないのはなぜなのでしょうか。
個人的には、主な原因は2つあると考えています。
1つ目は、医療機関側の事情や意向です。治験を実施する上で、そもそも自施設のIRBで審査することが重要であるという考えは根強く、外部IRBの利用によって事務手続きが増えることに対する懸念や、外部IRBが自施設の適格性を適切に評価できるかを不安視する声はよく聞かれます。つまり、外部IRBに審査依頼することについて、医療機関側が不安や懸念を持っているということです。そうした気持ちはよくわかりますし、おそらく私も医療機関側で治験に関わるとすれば同じように慎重な姿勢となると思います。こういった不安や懸念を1つずつ解消できるような体制・方針でIRBを運営し、それを発信していくことが、セントラル化を進めるにあたってIRB側の重要な責務だと考えています。
法令などで一括審査を義務付ける、または製薬企業が治験実施医療機関を選定する際に特定のセントラルIRBの利用を絶対条件にするなどすれば、一括審査自体は進めることもできるでしょう。しかし、医療機関側の事情や意向を無視して強行するのは適切な方法だと思いません。日本の治験環境の改善という大きな目標のために、それぞれが歩み寄り、納得できる形にしていくことが重要だと思っています。
2つ目の原因はIRB側の問題です。
現在、セントラルIRBとして機能しているIRBとしては、▽特定の医療法人等に設置するケース▽治験ネットワークに設置するケース▽SMOがサポートする医療機関(クリニック)が設置するケース――が主なものになります。こうしたIRBは、自分たちの施設やグループに治験を誘致するためのツールとして機能している面があり、実際、グループ内だけで利用されることが多いと理解しています。セントラル化の推進という意味で、これらのIRBが果たしてきた役割は大きいものの、内向きに設置されていることに加え、審査のキャパシティという点でも、それぞれが属するグループの垣根を越えて審査依頼を幅広く受け付ける、ということは現実問題として難しいのではないでしょうか。
その点でセントリオール・ワンは、どの医療機関、医療法人、治験ネットワークにも属しておらず、SMOとも提携していません。「みんなが使える」とうたっている通り、全国どんな医療機関からも審査を引き受けます。現在、日本には1200を超える数のIRBが存在しますが、あらゆる治験関係者から独立したIRBはおそらく私達が唯一ではないかと考えております。
もちろん、私たちだけですべてのニーズに対応するのは物理的に不可能でしょうが、中立性が高く垣根のないIRBをつくることで、セントラル化が進む1つのきっかけになればと思っています。
毎週開催で「IRB待ち」解消
――セントリオール・ワンでは、審査依頼があれば毎週、委員会を開催するそうですね。
はい。IRBは月1回開催というところがほとんどで、その場合、資料の提出期限を1日でも過ぎてしまうと審査は1カ月先延ばしになります。また、1回に審議できる案件には限りがあるので、新規の案件が一時期に重なるとIRBで審査されるまでに何カ月もかかってしまうというケースもあります。開催の頻度を高くすることで「IRB待ち」をなくし、速やかに治験を始めていただけるようにしたいですし、医療機関で発生した重篤な有害事象や海外措置報告など、本来早急に審査すべき事項もタイムリーに審査できると考えています。
文書のやりとりや保管はクラウドで電磁的に行うことを基本としており、審議資料がシステムに格納されれば、委員はすぐにそれを閲覧できます。こうすることで、資料の提出期限を「原則、委員会開催日の1週間前まで」に短縮しました。早急に審査すべき案件は、委員会開催直前(2日前程度)まで資料を受け付ける予定です。
審査は法令に則って厳格に行いますが、「被験者保護」と「治験の信頼性確保」というGCPの本質にフォーカスし、それらに直接影響しないような枝葉末節な議論や不必要な指摘がなされることが極力ないようにします。当局での経験を生かし、スピードと質を両立した審査を行っていきたいと考えています。
セントラルIRBによる一括審査はあくまで手段であり、目的は治験の効率的な実施とそれによって新薬を患者さんに早く届けることです。なので、被験者保護という本質を押さえつつ、融通がきいて小回りもきく、そんな使い勝手の良いIRBを目指しています。
――今後の展望をどのように描いていますか。
実績が重要だと思うので、まずは引き受けた審査を1件1件、丁寧かつ迅速に対応していきたいです。また、▽新規治験の依頼が一時期に重なり、院内IRBがオーバーフローしそうな場合の緊急避難先として使っていただく▽対象疾患によって役割分担する(急性疾患や重篤な疾患の治験は院内IRB、それ以外の治験は外部IRB)――などによって、多忙な治験事務局の負担を少しでも軽減することにつながればと考えています。
医療機関のニーズに応えつつ、実績を着実に積み重ねていくことで、より安心して審査を依頼してもらえるようになるのではないかと思っています。
先ほどもお話した通り、特定の分野ではセントラルIRBの活用はこの10年間、ほとんど進んでいません。私たちだけですべてを変えることはできないと思いますが、誰かが一石を投じないと変わらない。「1治験1IRB」が当たり前の世界に向けて、時間はかかると思いますが、セントリオール・ワンがそれに少しでも貢献できればうれしいです。