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「明日を担う子どもたちに」小児疾患の治療法開発に導いた元上司の言葉―キッズウェル・バイオ谷匡治社長|ベンチャー巡訪記

更新日

亀田真由

製薬業界のプレイヤーとして存在感を高めるベンチャー。注目ベンチャーの経営者を訪ね、創業のきっかけや事業にかける想い、今後の展望などを語ってもらいます。

 

今回訪ねたキッズウェル・バイオは、2001年に北海道大発バイオベンチャー「ジーンテクノサイエンス」として創業。21年7月に現在の社名に変更しました。07年に本格参入したバイオシミラービジネスではすでに提携先を通じて3製品が承認。それらがもたらす安定収入をもとに、乳歯歯髄幹細胞(Stem cells from Human Exfoliated Deciduous teeth=SHED)を活用した再生医療の研究開発に挑んでいます。

 

谷匡治(たに・まさはる)東京大大学院農学生命科学研究科修了。サントリー医薬事業部、武田薬品工業事業開発部、ウィズ・パートナーズのダイレクターを経て、2014年にジーンテクノサイエンス(現・キッズウェル・バイオ)に入社。翌15年にCFOに就任し、17年から代表取締役社長を務める。MBA。

 

歯髄幹細胞にリソースの9割を投入

――2017年に3代目社長に就任してから間もなく6年になります。昨年5月にはSHEDへの注力を発表しました。谷さんの社長就任以来、再生医療への取り組みが加速していますね。

ベンチャーキャピタルのウィズ・パートナーズで支援サイドから当社に関わっていた期間も含めると、もう10年目です。自分のキャリアの中では最も長く関わっていることになります。

 

僕が当社に関わり始めた2013年というと、ちょうど東証マザーズに上場(12年11月)した直後です。前の社長(河南雅成氏)が07年にバイオシミラー事業を本格的に始めて、上場と同時に提携先の富士製薬工業、持田製薬を通じてG-CSF製剤のフィルグラスチム(国内製品名・グラン)の承認を取得。そこから僕らが資金面を含めて支援に入り、17年くらいまでバイオシミラー製品のラインアップ拡充に取り組んできました。

 

19年には三和化学研究所が腎性貧血治療薬ダルベポエチン アルファ(国内製品名・ネスプ)のバイオシミラーの承認を、21年には千寿製薬が眼科用VEGF阻害薬ラニミズマブ(国内製品名・ルセンティス)のバイオシミラーの承認を取得し、これら3製品が当社の収益基盤となっています。25年度までに第4の製品も市場に投入する予定です。30年~35年にかけて免疫チェックポイント阻害薬など大型品の特許が切れてくるので、機会があればパートナーと一緒に進めていくつもりです。

 

そうやってバイオシミラーに力を注ぐ中で、「ジーンテクノサイエンス=バイオシミラー」というイメージが市場にも浸透してきました。ただ、バイオシミラーは医療費削減という文脈では大きな社会的意義がありますが、治療法がなくて本当に困っている患者さんのために新薬を開発するのとは違う。加えて、バイオシミラーは「ミドルリスク・ミドルリターン」で、会社として成長性を追求できないんですね。新しいことをして企業価値を上げていかなければ、という思いでシーズを探していたときに出会ったのがセルセラピーでした。今は、リソースのおよそ9割をSHEDに投入しています。

 

 

――細胞治療で最初に手がけたのは心臓内幹細胞(Cardiac Stem Cell=CSC)でした。

SHEDに至る前は、昨年4月にメトセラに譲渡した日本再生医療(JRM)を通じて、小児先天性心疾患(機能的単心室)患者に対するCSC「JRM-001」の開発を進めていました。

 

われわれはノーリツ鋼機グループの持分法適用会社ですが(編注:16年6月から19年4月まで子会社だった)、JRMはノーリツ機構のスピンアウトベンチャーとして生まれた企業で、当時の社長の戸田(光太郎)さんが僕らに手伝ってほしいと声をかけてくれたのがきっかけで16年に提携しました。うちはバイオシミラー事業で抗体医薬をやっているから、細胞を扱うという意味で技術的に同じところがあった。製造の見直しなど、開発は一筋縄ではいきませんでしたが、隣でサポートしながら細胞治療開発の難しさを勉強させてもらいました。

 

自分たちのシーズとして「JRM-001」の開発を続けていくことも考えていましたが、循環器領域はスペシャリティの高い分野で、僕らだけでどこまで行けるか正直わからなかった。JRM-001の臨床第3相(P3)試験が進展し、投資が多くなる局面に入ったこともあって、この分野に強みを持つメトセラにお願いしたんです。

 

神経系や筋骨格系の疾患に期待

乳歯歯髄幹細胞(SHED)を手掛けるセルテクノロジーに出会ったのは18年の夏でした。SHEDは世界でもまだあまり研究されていなかったし、ほかの細胞と違うポテンシャルを持っていると感じた。思い切って買収を打診し、19年1月に完全子会社化しました(編注:歯髄細胞バンク・培養上清事業の推進に向け、20年11月に同社の全株式をリバースに譲渡。キッズウェルはSHEDの医薬品研究開発プラットフォームを保有する)。そこからCSCの開発と並行してSHEDの研究を進め、3年かけてようやくそこがクリアになってきたことで、昨年、SHEDに絞ることを決めました。

 

基礎研究で見えてきたのは、SHEDは神経系や筋骨格系の疾患への応用が期待できるということです。発生学的に神経堤由来のものなので、神経の再生能力が高い。遊走性と血管新生も良いので、脊髄損傷や脳梗塞、脳性まひ、視神経損傷といった神経再生に関わる疾患への効果が期待できます。僕らは、こうした疾患に対して第一世代のSHED(非改変型幹細胞)を開発していて、それとは別に遺伝子導入などによって機能を付加した第二世代SHED(デザイナー細胞)の開発にも着手しています。第二世代は遺伝子疾患や神経変性疾患、がんなどへの応用も期待できます。

 

安定供給に向けては、昨夏に臨床用のマスターセルバンクを完成させました。ドナーの候補募集から乳歯の採取、マスターセルバンクの製造まで、安定的に供給できる体制が整っています。

 

活性の高い「子どもの細胞」がポイント

――SHEDのどんなところにポテンシャルを感じたのですか。

SHEDは5~12歳の子どもの生え変わりの乳歯を使っています。1人のドナーから通常20回採取できる可能性があるので非常にサスティナブルだし、ドナーへの負担も軽く済みます。最初に取り組んだ心臓内幹細胞と共通しているのは、どちらも「子どもの細胞」だということです。子どもの細胞は、大人の細胞と比べて活性や増殖能が高い。子どもの細胞を使っていることは大きなポイントです。

 

こういう視点で見ていたのには、武田薬品工業での経験があったからです。僕はMBA留学を経て06年に武田に入社し、ウィズ・パートナーズに移る13年まで買収などの投資案件に携わっていました。10年ごろ、僕は新規事業の立ち上げを検討するチームにいて、ラッキーなことに世界の再生医療の状況を片っ端から調べていたんです。その中には今も開発を続けている会社もありますし、もう無くなった会社もありますが、当時、データを見せてもらう中で感じていたのは、「大人の細胞はそもそも活性が低いので、薬にするにはひと工夫、ふた工夫必要で、MSCをそのまま投与しても臨床試験で統計学的な有意差を出すのは難しい」ということでした。もちろん、ほかの幹細胞を否定する気持ちはありませんが、振り返ってみると当時はまだ、細胞の特性とターゲット疾患の結びつけが甘いと感じる部分がありました。

 

当社でシーズを探す中で、赤ちゃんの細胞であるCSCに出会った時、やはり活性が全然違うと思いました。SHEDもそうですが、活性を見たときに「これだったら薬になるんじゃないか」と思えたんです。

 

「オプションが大事だ」

21年7月に社名を「ジーンテクノサイエンス」から「キッズウェル・バイオ」に変更しましたが、ここには、「小児疾患に取り組んでいく」という意味と、いま話したように「子どもの細胞を使う」、つまり子どもの細胞を大人の疾患にも展開していくという意味が含まれています。それを「こどもの力になること、こどもが力になれること」というビジョンに言い換えました。

 

「小児疾患をやっていく」というのには、ファーストキャリアのサントリーでアルツハイマー病治療薬のメマンチン(製品名・メマリー)の開発を行っていたころの思い出があります。サントリーの医薬事業は02年に第一製薬(当時)に売却されることになり、僕はそれを機にMBA留学のために会社を離れましたが、メマンチンの開発では多くのことを学ばせてもらいました。中でも印象に残っているのが当時の上司に言われた言葉です。

 

メマンチンの開発を始めた当時、軽度・中等度のアルツハイマー病にはすでにアリセプトがあり、軽度・中等度の患者さんを対象に臨床試験を行うのが難しかった。だから戦略的に高度の患者さんから開発を行ったんですが、途中で本当に開発を続けるべきか悩んでしまったんです。

 

高度のアルツハイマー病の患者さんは、コミュニケーション能力が著しく低下していたり、寝たきりになってしまったりしている場合がほとんどです。そうした人にメマンチンのような症状の進行を遅らせる薬を投与すれば長く生きられる。でもそれって、本当に患者や家族、介護者にとって幸せなのか。正直すごく悩んでしまって、僕は上司に「この薬を世の中に出す意味ってあるんですか」と聞いたんです。

 

そのとき言われたのは「オプションをつくることが大事だ」ということでした。薬が1つだとそれだけしか頼れないけど、すべての人に効くわけではない。だから、さまざまな作用機序の薬を提供することで救われる人が増えるんだ、と。

 

その上司からは、別の場面でこんなことも言われました。「俺は今、こうして高齢者の薬を開発しているが、正直、本当はこれからの世の中を担う子どもたちのために薬を開発したいと思うことがある。子どもたちの明日のための薬が作りたいって。俺の人生ではそれは難しいけれど、お前はチャンスがあったらそういうことをやれ」。その時の言葉が心に残っていて、子どもたちのためになることがしたいとずっと思ってきました。

 

今、大手製薬企業のほとんどが希少疾患をやっています。でも、僕が武田にいたころは「希少疾患は儲からない」という思い込みがあり、なかなかディールに結びつかなくて、忸怩たる思いがあった。希少疾患の次にくるのが小児の疾患だと思っています。だから僕たちは先んじて(小児疾患に)取り組んでいきたいと思っています。

 

――SHEDについては今年2月、名古屋大での脳性まひ児に対する臨床研究が承認されました。

前向きな非臨床データが出てきて、ようやく人で実証していくステージに入りました。SHEDはまだ人で使われた実績がありません。まずは自家細胞の単回投与で安全性・忍容性を見ていき、自家細胞の反復投与の検証を経て、同種(他家)の開発に持っていくことを考えています。

 

脳性まひには治療薬がなく、リハビリしかない。まだ失敗するリスクも高いので大きなことは言えませんが、これがさっき話したような「オプション」の1つになればと思っています。リハビリなどの既存治療と組み合わせて、有効性の向上につなげたい。承認を取るとすれば2030年度ごろでしょう。今はまだスタート地点に着いただけですが、患者さんを第一に考えて、そこをめがけて一歩ずつ進んでいきます。

 

(聞き手・亀田真由)

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