製薬業界のプレイヤーとして存在感を高めるベンチャー。注目ベンチャーの経営者を訪ね、創業のきっかけや事業にかける想い、今後の展望などを語ってもらいます。
羽藤晋(はとう・しん)1998年慶応大医学部卒。眼科専門・再生医療認定医。眼科医として臨床に携わる傍ら、角膜の再生医療を研究し、その成果をもとに2015年にセルージョンを設立。2013年から慶応大特任講師も務める。 |
角膜移植、需要と供給に大きなギャップ
――事業の概要を教えてください。
セルージョンは、慶応大医学部の眼科学教室発のスタートアップです。慶応大病院で眼科の臨床医として働く傍ら、iPS細胞による角膜の再生医療について研究を進め、そのシーズをもとに2015年に立ち上げました。水疱性角膜症を対象に開発を進めている最初のパイプライン「CLS001」では、角膜移植のアンメットメディカルニーズの解決を目指しています。
角膜移植は需要と供給のギャップが大きいことが知られています。移植を待つ患者は1300万人いますが、実際には年間18万件しか手術が行われていません。
――需要と供給のギャップにはどのような背景があるのでしょうか。
われわれが対象としている水疱性角膜症は、角膜移植適応症例の約50%を占めます。角膜内皮細胞が機能不全になることで角膜に水がたまり、むくみ(浮腫)を生じる疾患で、進行すると角膜が白く濁って光を通さなくなり、失明につながります。
この疾患は、遺伝性疾患のフックス角膜内皮変性症、白内障や緑内障の手術によって内皮細胞が痛むことで起こります。全世界的な高齢化や、中国・東南アジアでの医療水準の向上による白内障・緑内障手術の増加を背景に、患者数は右肩上がりに増加しています。
治療としては、角膜の全層を入れ替える「全層角膜移植」や、角膜内皮細胞を入れ替える「角膜内皮移植」が行われています。ただ、高い専門性が求められる手術なので、対応できる眼科医は限られますし、ドナー眼球の不足も課題です。限られたドナー角膜を公平に分配するには社会インフラであるアイバンク制度が重要ですが、世界各国で十分に整備されているかというと、そうではありません。
われわれはこうした問題を解決するため、他家iPS細胞由来の角膜内皮代替細胞を移植する方法を開発しています。
iPS細胞由来の角膜内皮細胞を注入
――どんな治療法なのでしょうか。
われわれが開発したのは、他家iPS細胞から角膜内皮代替細胞を分化誘導して大量生産する技術と、作製した細胞を懸濁液の状態で前房(角膜と水晶体の間)に注入して移植する方法です。
具体的には、悪くなった患者さんの内皮細胞を除去した後、作製した内皮細胞を注射器で移植します。その後、患者さんには3時間ぐらいうつ伏せの状態になってもらい、重力で細胞を沈降させて定着させます。生着した細胞が機能することでむくみを取り除き、角膜の透明性を回復すると考えています。
――従来の手法との違いは。
まず大きな違いは侵襲性です。角膜移植手術は角膜を切る必要がありますが、われわれの手法は注射なので傷口が小さくて済みます。さらに、角膜内皮移植では移植片を圧着させるために眼の中に空気を入れるので、眼圧が急激に上がることによる副作用がありました。細胞移植はそうしたリスクが少なく、患者さんの負担を軽減できるメリットがありますし、医師にとってもより簡単で使い勝手の良い手法になると思っています。
新しい治療法を開発すれば世界中の患者に貢献できる
――なぜ角膜の再生医療に取り組もうと思ったのですか。
臨床医として移植医療の限界を感じていたのが大きな理由の1つです。自分自身のキャリアを考えたとき、年間数十件の角膜移植手術ができたとして、一生でできるのは数千件です。でも、次の新しい治療法を開発すれば、世界の数百万人、数千万人の患者さんに貢献できると思ったんです。
角膜移植手術の進歩を感じる中で、「次の進歩は細胞移植だろう」と理解していました。角膜の再生医療の分野では、日本は世界のトップを走っています。角膜内皮の再生医療については、京都府立医科大の木下茂教授らのグループが、亡くなったドナーの細胞から培養した内皮細胞の懸濁液を注入する手法の医師主導治験を行っていました。
ただ、この手法はドナーの細胞を使うので、組織のばらつきや細胞の供給量に課題が残るだろうと思っていました。世界中の水疱性角膜症の患者さんを治療するにはiPS細胞による大量生産を実現しないと難しいだろうと考え、それがプロジェクト開始のきっかけです。
――研究開始からここまでを振り返って、最も大きなブレークスルーはなんでしたか。
iPS細胞から角膜内皮代替細胞を分化誘導する技術の開発です。開発には、6、7年の歳月を費やしました。
iPS細胞やES細胞から角膜内皮細胞を作る研究は、米国や中国の大学もやろうとしています。最もオーソドックスなのは発生学のプロセスを再現する方法で、iPS細胞から神経堤細胞(前駆細胞)を作り、そこから内皮細胞に分化するというステップ・バイ・ステップの方法です。私も当初はこの方法を研究していましたが、これを実用化するのは難しいだろうと感じていました。神経堤細胞は幹細胞の一種で、神経細胞や軟骨細胞にも分化できてしまうので、純度の高い内皮細胞を作るには効率が悪いからです。
そこで私は、どこで分化誘導するのが最も効率的かを見ていきました。そうすると、実は神経堤細胞に分化させず、iPS細胞から直接的に内皮細胞に分化誘導できる方法があることがわかった。それが「直接誘導法」と呼ぶわれわれのコアの技術です。
この方法なら、高純度の内皮細胞を約1カ月で優に1000人分作ることができます。製造の効率が上がることでコストの低減も見込め、今の感触だと、現在の角膜移植と同程度の価格で提供できるだろうと考えています。
われわれが開発しているのは他家細胞を使ったoff the shelfの製品なので、凍結保存が重要です。大学での研究していたころから「将来的なボトルネックになるから、先に手を打っておこう」と思い、早くに研究を始め、in vitroのデータを積んでから非臨床に進みました。カニクイザルを使った非臨床試験では、実際に慶応で作って冷凍した細胞を遠方に運び、そこで試験を行いました。
――CLS001の開発状況を教えてください。
ファースト・イン・ヒューマン(FIH)の医師主導治験として、慶応大病院で今年7月から患者さんのリクルーティングを行っています。
FIH試験では、最も重症な3例に対する安全性を確認します。最重症とは、既に1回全層角膜移植を受けたものの内皮細胞が減ってしまい、再発した例のことです。全層角膜移植は、繰り返し行うと予後が悪くなってしまうことが知られています。
セルージョン主導の企業治験としては、日本で2024年から、米国でも25年から、それぞれ臨床第1/2相(P1/2)試験を始めたいと思っています。こちらはより一般的な水疱性角膜症の患者さんを組み入れて試験を行う予定です。
国内では、P1/2試験の結果やPMDAとの協議次第で条件付き承認制度の活用も視野に入れています。同制度が活用できれば26~27年ごろ、P3試験まで実施する場合は28~29年ごろの実用化を見込んでいます。米国でも29年ごろのローンチに向けて進めていきたい。角膜移植を先進的にやってきた日本と米国は、最初の市場として重要だと考えています。
可能性を再生する
――開発や販売は自社で行う予定ですか。
日本や米国での開発のノウハウやケイパビリティを増やしていきたいという希望があります。
生産については、国内ではCDMOのニコン・セル・イノベーションと提携し、GMP製造の実現に向けて、技術移転を進めています。米国では、この10月に昭和電工マテリアルズ傘下の米ミナリスと契約しました。細胞の製造についてはわれわれもコミットしていきたいと思っています。
販売は大手のグローバルファーマとアライアンスを組んでやっていきたいです。もちろん、相手の考え方もあるので話し合いの中で役割分担は決めていくことになると思いますが、われわれの希望としては、世界に展開するためのノウハウも同時に蓄積していきたいと考えています。
――日米以外の海外展開に向けた戦略は。
患者さんが増えているのはアジア圏です。すでにアプローチを始めていて、今年9月に中国のFosun Pharmaが設立した細胞再生医療プラットフォーム子会社のCelregen Therapeuticsに製造・開発・販売に関するライセンスを供与しました。まずは日本と米国、中国で準備を進めていきます。欧州にも展開を考えていますが、欧州向けの生産はミナリスで賄えるのではないかと思っています。
細胞生産をコアに領域広げる
――長期的にはどのような展望を描いていますか。
眼科以外の疾患領域にも展開していきたいと思っています。われわれの一番の強みは再生医療技術です。「技術が価値を生み出せる疾患領域」と「ペイシェント・セントリシティに基づく新たな研究開発が求められる疾患領域」、この2つが合わさった領域にパイプラインを増やしていくことを描いています。
具体的には、iPS細胞から角膜内皮代替細胞を大量生産する技術をベースに考えており、大量生産した細胞に遺伝子編集や遺伝子導入を施して新たな機能を付加した「機能付加型角膜内皮代替細胞」の開発を行う計画です。追加した機能に応じて、がんや代謝疾患といった領域で開発を進めていこうと考えています。
――技術をプラットフォームにして展開を広げていくということですね。
ものづくりの一番難しいところが細胞生産ですから、それをコアにさまざまな分野に展開していくことを考えています。すでに、網膜疾患・がんを対象に慶応大と、代謝疾患を対象に東京大と共同研究を進めています。
こうしてパイプラインが広がってきたこともあり、最近、ミッションをこれまでの「世界の視界を良好に。」から「ひとの可能性を再生する。」に再構築しました。病気が回復してできることが増える、その人の”できる”可能性が広がっていく。再生医療技術を使って、そんな世界を目指していきたいという想いを込めています。
(聞き手・亀田真由)