今年4月、営業に関わるデジタル関連機能を集約した「デジタルコミュニケーション部」を新設し、情報提供活動のデジタルトランスフォーメーション(DX)を進めているアステラス製薬。同社が先月末に開いたメディア向け説明会で、同社が取り組む「複合現実(MR)を活用した患者向けの疾患説明」と「メタバースを使った医師向けWebシンポジウム」を体験してきました。
複合現実で「将来の患者向け資材」
アステラス製薬は、日本マイクロソフトの複合現実ヘッドセット「HoloLens2」を活用し、医師と患者のコミュニケーションを支援する「HICARI(Hologram Informed Consent Application with mixed Reality Interface)」プロジェクトを進めています。手術支援にも使われるHoloLens2は透明のレンズを備えており、レンズ越しの現実空間に3Dモデルなどを投影することができます。アステラスは複合現実(MR)を使った医師と患者のコミュニケーション支援を「患者向け資材の未来の形」と位置付けています。
説明会での実演風景。HoloLens2を装着した患者役の女性(上)と、HoloLens2越しの視界(下。骨密度が低下した状態を解説している)。診断画像などをもとに患者自身のデータやモデルを表示することも可能だが、個人情報の観点からHICARIプロジェクトでは扱っていない。
19年度に開始したHICARIプロジェクトでは、骨粗鬆症と高コレステロール血症の2つの領域で、疾患をわかりやすく説明するMRコンテンツを制作。医師は口頭で疾患の説明をしながら、ヘッドセットを着用した患者の視界にさまざまな3Dコンテンツを表示します。たとえば、骨粗鬆症なら「骨密度が低下した状態とは」「症状が進行して圧迫骨折が起こるとどうなるのか」といったことを説明するコンテンツを見せ、疾患や治療に対する患者の理解を促します。
骨粗鬆症のように自覚症状が少ない疾患では、患者の疾患理解も不足しがちで、それが治療や服薬の継続に影響すると言われています。「口頭の説明だと患者によってイメージにばらつきがありますし、イラストや動画、模型などを使ったとしても『自分ごと化』して捉えてもらうのは難しい。クロスリアリティ(XR)なら、没入感を応用した疑似体験で疾患に対する関心を高めることができるのではないか」。HICARIプロジェクトをリードする同社営業本部デジタルコミュニケーション部の兒玉浩亮さんはこう期待します。
実際に体験してみると、ヘッドセットの重さが少し気になるものの、視界はクリアで、医師の顔を見ながらコンテンツを見ることができるので親しみや安心感が感じられました。わかりやすいコンテンツと、医師の顔を見ながら聞く説明が組み合わさることで、確かに理解は深まりそうです。
アステラスが19年度と21年度に行ったコンセプト検証では、疾患理解について患者の85%が肯定的な回答をし、医師からも「いつも以上に患者の興味・関心が高かった」といった意見が寄せられたといいます。
一方でコンテンツの充実を求める声もあったといい、アステラスは今後も定量的な効果検証を行いながらコンテンツや対象疾患の拡大を目指す考え。将来的には、HoloLens2を導入している医療機関を対象に、患者向け資材としてコンテンツを無償提供する計画です。
アステラス製薬営業本部デジタルコミュニケーション部係長の兒玉浩亮さん。HICARIプロジェクトの他社への横展開については「どうしてもアイデアには限りがあるので、もしうちのプラットフォームで一緒にやってみたいと賛同してくださるところがあれば検討してみたいと思っています」と語った。
メタバースで双方向コミュニケーション実現
もう1つ、デジタルを活用したコミュニケーションとして取り組んでいるのが、インターネット上の仮想空間「メタバース」による「デジタルホール」のプロジェクトです。今年8月から、同社つくば研究センター内のホールを模した仮想空間で医師向けのWebシンポジウムを開催しています。
「今後、完全にコロナ前の状況に戻ることはないと考えており、そうなるとリアルで行われていたような偶発的なコミュニケーションが少なくなってしまう」と兒玉さんは話します。オンラインコミュニケーションへの移行が進む中、研究会や講演会といった場で医師同士が情報交換する機会が失われていることを課題として捉え、その解決に向けてメタバースでの双方向コミュニケーションの実現を目指しています。
アステラスデジタルホールプロジェクトの概要。Webシンポジウムの講演会の内容はオンライン講演会と同じだが、3Dならではのコンテンツの活用も検討しているという。
メタバースでは、医師は自分の分身となるアバターを操作してシンポジウムに参加します。デジタルホールでは、動画や各種資材を確認したり、ほかの医師(のアバター)とともに講演会を聴いたりすることができ、拍手など簡単なリアクションを示すことも可能です。従来型のオンライン講演会よりも臨場感があり、21年度にパイロットとして行った講演会では、医師から「緊張感が持ててよかった」といった声も上がったといいます。通信環境や対応ブラウザなどに課題はあるものの、満足度は全体的に高く、9割がリピートの意向を示しました。
デジタルホールで自身のアバターから見た風景。画面中央に見えるのは、ほかの参加者のアバター。医師は医療従事者向け情報サイト「アステラスメディカルネット」を経由して会場に入る。
兒玉さんによると、医師からはコミュニケーション機能の拡充を求める意見が多く寄せられたといい、アステラスでは現在、チャットや音声を使ったコミュニケーション機能の追加に向けた検証を進めています。将来的には、リアルとオンラインのハイブリッドでコミュニケーションを創出することも視野に入れており、開催頻度もあらゆるWeb講演会をメタバースで実施するほどに増やしていく方針です。