昨年、世界で初めて承認されたマラリアワクチン(ケニア・キムスの病院で2022年7月1日撮影、ロイター)
[ロンドン/キスム=ケニア ロイター]WHO(世界保健機関)は昨年、マラリアワクチンを初めて承認した。何十年にもわたる研究の成果の末、毎分1人の子どもが命を落とす疾患の根絶に道を開いた歴史的な出来事だった。
しかし、実際のところ、その取り組みは大きく損なわれている。ロイター通信がWHO、製造販売元の英グラクソ・スミスクライン(GSK)、非営利団体などの関係者12人に行ったインタビューによれば、資金不足と商業的可能性が展開を阻んでいる。
マラリアによる死者、大半はアフリカの子ども
2019年のパイロットプログラムを経て承認されたマラリアワクチン(製品名・モスキリック)について、GSKは2028年まで毎年、最大1500万回分を生産するとしている。しかしこれは、WHOが必要だとする量よりかなり少ない。ワクチンの展開に近い関係者によると、今のところ2026年までに年間数百万回を超える生産が行われる可能性は低いという。
GSKの広報担当者は、向こう数年間で見込まれる生産量については明らかにしなかったが、国際的なドナーからの追加資金がなければ膨大な需要を満たすのに十分なワクチンを生産することはできないと述べた。同社のチーフ・グローバルヘルス・オフィサーを務めるトーマス・ブリューワーは「今後5~10年の需要は、現在の供給予測を上回るだろう」との見通しを示した。
大規模臨床試験で示されたモスキリックスの重症化予防効果は約30%と高くはない。一部の政府関係者や資金拠出者は、英オックスフォード大がテストしている2つ目のワクチンの方が優れており、安価で大量生産しやすいと期待している。
しかし、モスキリックスの生産を増やすための資金が集まらない現状は、アフリカの多くの人々を落胆させている。マラリアによる死者は世界で年間約60万人に上るが、その大半はアフリカ大陸の子どもたちだ。
ガーナで試験的なワクチン接種プログラムを主導している公衆衛生の専門家、クワメ・アンポンサ・アキアーノは「モスキリックスは、ほかのワクチンが出てくるまでに多くの命を救う可能性を持っている」と強調。「待てば待つほど、多くの子どもたちが不必要に亡くなっていく」と話す。
ケニアの地方都市キムスに住むレベッカ・アディアンボ・クワンヤは、ワクチンの効果を実感している。彼女の4歳の息子ベルトンは生まれてから何度もマラリアに苦しめられているが、パイロットプログラムでワクチン接種を受けた1歳半の息子ブラッドレーは感染していないという。「上の子はワクチンを受けていなかったのでときどき病気になったが、下の子はワクチンを接種したのでマラリアにかかっていない」と彼女は言う。
モスキリックスの製造と配布に対する国際的な意欲は限定的だ。子どもへのリスクが比較的小さい新型コロナウイルスワクチンを、富裕国が記録的なスピードと資金で確保したのとは対照的だ。
1分に1人の子どもが亡くなっている
多くの医薬品と異なり、先進国にはマラリアワクチンの大きな市場はない。製薬企業は先進国で利益を上げ、低所得国でははるかに安い価格で入手することができる。アフリカの政府と協力してマラリアの撲滅に取り組む非営利団体「RBMパートナーシップ・トゥ・エンド・マラリア」の最高責任者コリーン・カレマは「マラリアは貧しい人々の病気なので、市場という点ではそれほど魅力的ではない」としながらも、「毎分1人の子どもがマラリアで亡くなっていることを容認することはできない」と強調する。
ワクチンプログラムに詳しい関係者によると、WHOはモスキリックスの接種を広げるための新たなステップを発表する予定だ。それには、最初の調達契約や、特にリスクが高い約1000万人の子どもに優先的に配分する推奨割り当てが含まれるという。
WHOは、長期的には年間1億回分のワクチンが必要になるとしており、これは4回接種で2500万人の子どもをカバーできる量だ。昨年10月にモスキリックを承認した際、WHOは必要な接種回数を特定せず、供給量が少なくても年間4~8万の命を救うことができるとしていた。
マラリアワクチンの接種を受ける子ども(ケニア・キムスの病院で2022年7月1日撮影、ロイター)
ロイターの試算では、GSKが目標とする年間1500万回分の生産では、毎年2万人ほどの死亡を防ぐことができる。しかし、WHOやほかのマラリア対策関係者によると、1500万回分の生産を達成するには何年もかかるという。パイロット国を超えた広範な配布は2024年初頭まで不可能とみられ、その後の展開もゆっくりとしたものになるとみられる。
GSKは、目標達成のために生産能力を向上させる必要がある。同社は、国際的なワクチンアライアンスであるGaviと資金援助契約を結んだ。Gaviはワクチンの生産に重要な原料の備蓄を支援する。同社の広報担当者は「われわれは合意された備蓄量の完了に向けたコースの上にある」と話す。
モスキリックスの重要な原料の生産は2028年以降、インドのバーラト・バイオテックが引き継ぐことになっている。GSKのブリュアーは、バーラトとの契約によって生産の加速を期待する。GSKはアジュバントの生産を続け、年間3000万回分まで生産を倍増させる方針を示しているが、その期限は明らかにされていない。バーラトはまだ生産計画の概要を明らかにしておらず、コメントの要請にも応じなかった。
コロナワクチンとは対照的
GSKは、ガーナとケニア、マラウイで行われたパイロットプログラムに1000万回分のワクチンを寄付しているが、これまでに出荷されたのは半分以下にとどまる。3カ国は、今年から来年にかけ、寄付の残りと購入分を組み合わせて接種キャンペーンを拡大させる予定だ。
同社によると、WHOがパイロットプログラムで安全性と有効性に関する追加データの収集を決めたため、発売に数年を要することとなり、専用の生産施設も一時休止を余儀なくされたという。WHOは、安全性に対する疑問は承認前に解決しておかなければならなかったとし、現在は供給を増やすために緊急の取り組みを行っていると述べている。
WHOでマラリアワクチンの実施責任者を務めるメアリー・ハルメはロイターの取材に、新型コロナワクチンは政治の意思と資金があれば迅速に物事を進められるかを示したものだと指摘し、マラリアではこれまで見られなかったものだと話した。
モスキリックスの開発は1980年代に始まった。実用化に30年以上の時間を要した理由の1つは、マラリア原虫を標的とすることの難しさにある。
承認に向けた動きも鈍かった。GSKは2015年、ワクチンが重症マラリアのリスクを約30%抑制するという大規模臨床試験の結果を公表した。しかしWHOは、ただちに承認せず、2019年からのパイロットプログラムを通じて安全性と有効性に関するさらに多くのデータを求めた。ワクチンでは従来、こうした実データは承認後の追跡調査で収集されることが多かった。
「銀の弾丸ではない」
こうした経緯でようやく承認されたマラリアワクチンだが、長期的に配布するための資金をどのように調達するかは明らかでない。WHOによると、2020年のマラリア対策資金は33億ドルだが、治療薬、蚊帳、殺虫剤といったツールの推定必要量の半分もまかなうことができていない。
2019年に医学誌「ランセット」に掲載されたグローバルヘルス研究者の論文によると、現在のマラリア対策にワクチンを追加すれば、その普及度合いに応じて年間3億2500万ドル~6億ドル以上の費用がかかる可能性がある。WHOはGSKのワクチンのコストは1回あたり5ドル程度になると見積もっている。
マラリアワクチンを準備する看護師(ケニア・キムスの病院で2022年7月1日撮影、ロイター)
モスキリックの開発とパイロットプログラムを支える最大の資金提供者であるビル&メリンダ・ゲイツ財団と世界エイズ・結核・マラリア対策基金(通称・グローバルファンド)は、ワクチンの展開に追加の資金をほとんど投入しない考えを明らかにした。
グローバルファンドの代表、ピーター・サンズは「これは銀の弾丸ではない。ワクチンはマラリアに使われるほかの介入策に比べても高価だ」と指摘。「マラリア対策の根本的な問題はツールではない。世界がマラリア対策に投じる資金が少なすぎるということだ」と話す。ゲイツ財団は、歴史的なワクチンの最善の使用方法に関する研究への支援は続けるが、「比較的低い有効性、短い期間、供給の制約に関する懸念」があるため、展開のための資金は提供しない考えを示唆した。
モスキリックスの展開にとって、Gaviは現在、唯一の重要な資金源となっている。2022~25年に約1億5500万ドルを提供することを決めており、各国からも資金援助を受けている。ただ、ロイターが入手した内部文書によると、初年度の投資額は2000万ドルにとどまる見込みだ。この計画に詳しい関係者によると、Gaviは、ワクチンの展開を求める国が需要を示すことで投資が増えることを期待しているという。
オックスフォード大への期待
複数のグローバルヘルス関係者は、オックスフォード大が開発している新たなワクチンに資金を投じたほうがよいのではないかと指摘する。
小規模な臨床試験のデータによると、オックスフォード大のワクチンは、マラリアのピークシーズンの直前に接種した場合、12カ月間で77%の有効性を示した。同ワクチンは今後数週間で大規模試験の結果が得られる見込みだ。一部の研究者は、GSKのワクチンも季節的に接種することでより高い高価を示す可能性があるとみている。
同大の研究者、エイドリアン・ヒルはロイターに対し、WHOにデータを提出したあと、1年以内に承認を得ることを目指していると話した。同大のワクチンを製造するインド血清研究所は、2024年までに年間2億回分の生産が可能になると見通しを示している。
独ビオンテックが開発中のワクチンにも期待が寄せられている。このワクチンは、ファイザーと共同開発して成功を収めた新型コロナワクチンと同じmRNA技術を活用したものだ。同社は今年末までの臨床試験開始を目指している。
しかし、これらのワクチンが使えるようになるまでの数年間は、WHOが特にリスクが高いとする1000万人の子どもに対してさえ、十分なワクチンが供給されないことになる。
西アフリカのマリ共和国にあるバマコ科学技術大の教授、アラサン・ディッコは「私たちはもっと早くこのワクチンを手に入れるべきだった」とし、「私たちはもっと頑張らないといけない」と話した。(敬称略)
(Jennifer Rigby/Natalie Grover/Maggie Fick/Baz Ratner、編集:Michele Gershberg/Pravin Char、翻訳:AnswersNews)