感染症の流行など緊急時にワクチンや治療薬を迅速に承認できる「緊急承認制度」の創設を柱とする改正医薬品医療機器等法が、5月13日に国会で成立しました。目下継続中の新型コロナウイルスによるパンデミックのような事態が起こった際、スピーディーにワクチンや治療薬が使えるようになるのは、国民としては喜ばしいことです。
現状とかけ離れた認識にモヤモヤ
しかし、国会審議の過程では、岸田文雄首相がドラッグ・ラグに関する野党議員の質問に対して「開発ラグには年度ごとにばらつきがあり、必ずしもドラッグ・ラグが拡大しているとは言えない」と意味がよくわからない答弁をし、その文脈の中で「緊急承認制度は早期の承認申請に資するとともに、審査の迅速化により国民に必要な医薬品を届けることができるようになる」と残念な認識を披露していました。現状とかけ離れた為政者の認識にモヤモヤしたのは、私だけではないはずです。
一旦は解消に向かったドラッグ・ラグですが、近年、問題が再燃しています。日本製薬工業協会(製薬協)のシンクタンクである医薬産業政策研究所のレポートによれば、2020年までの直近5年間に欧米で承認された新薬246品目のうち、176品目(72%)が日本では未承認でした。国内未承認薬の割合は右肩上がりで上昇し続けており、2016年までの5年間と比べると16ポイントも上昇しています。こうした状況にもかかわらず、「年度ごとにばらつきがある」というよく分からない理由で片付けようとする首相の見識には、首を傾げざるを得ません。
このレポートにも書かれていますが、ドラッグ・ラグには2つの側面があると言われています。1つは、海外で販売されているのに日本では承認されていない未承認薬の問題。もう1つは、開発や審査の遅れによって海外より発売までにかかる期間が長くなる「ラグ(遅延)」の問題です。
皆さんもご存知の通り、PMDA(医薬品医療機器総合機構)が審査期間の短縮に取り組んできたおかげで、日本は世界的に見ても新薬の承認審査が最も速い国の1つになっています。そうなると、ドラッグ・ラグ解消のために優先して取り組むべきことは、審査の迅速化ではなく、「日本で新薬を開発してもらえない問題」「日本が新薬開発で後回しにされる問題」であることは明白です。
日本企業さえも日本離れ
なぜ日本で新薬を開発してもらえないのか。それは、薬価制度の見直しによって日本の市場が魅力を失ってしまっているからにほかなりません。例えば、ノボノルディスク(デンマーク)の日本法人社長は記者会見で「日本市場の魅力は薄れており、日本はセカンド・ランクになっているかもしれない。日本での開発を避ける可能性もあると想定している」と語り、アッヴィ(米国)の日本法人社長も「今後も投資が継続できるかどうか不安視している」と懸念を表明しました。
こうした流れは、外資系製薬企業に限ったことではないというのが、私の肌感覚です。仕事柄、国内のさまざまな規模の製薬企業の方とお話しする機会がありますが、日本企業の方さえも新薬開発における日本の優先度が低くなりつつあるということを口にしますし、アジア・パシフィック地域の製薬企業では、日本を飛び越えて欧米での開発を優先するところが増えている感覚はあります。
日本市場の魅力を高め、新薬開発を呼び込むため、政治には正しい現状認識に基づく的を射た政策を実行していただきたいものです。「聞く力」が売りの岸田さん、製薬業界の声にもしっかり耳を傾けていただけませんか?
※コラムの内容は個人の見解であり、所属企業を代表するものではありません。
黒坂宗久(くろさか・むねひさ)Ph.D.。Evaluate Japan/Consulting & Analytics/Senior Manager, APAC。免疫学の分野で博士号を取得後、米国国立がん研究所(NCI)や独立行政法人産業技術総合研究所、国内製薬企業で約10年間、研究に従事。現在はデータコンサルタントとして、主に製薬企業に対して戦略策定や事業性評価に必要なビジネス分析(マーケット情報、売上予測、NPV、成功確率や開発コストなど)を提供。Evaluate JapanのTwitterの「中の人」でもあり、個人でもSNSなどを通じて積極的に発信を行っている。 Twitter:@munehisa_k note:https://note.com/kurosakalibrary |