先日、大学・大学院時代の研究室の同窓会に参加してきました。コロナがあったので数年ぶりの開催でしたが、お世話になった先生方、苦楽をともにした同期、いろんな世代の先輩・後輩とお酒を交えて語らうのはやっぱりいいものですね。
私が大学に入学したのが1994年。もう30年もたっていて、時の流れは早いものだとあらためて感じました。研究室に配属されたのは97年の4月。そこから博士過程修了まで10年近い月日を研究室で過ごしたので、上にも下にもたくさんの仲間ができました。
現在、彼ら・彼女らが何をしているかというと、製薬企業、CRO、医療機器メーカーなどライフサイエンス業界にいる人がもちろん多いですが、IT業界や出版業界にいる人もいて、いろんな分野に散らばっています。アカデミアに残っている人もそれなりにいて、准教授や教授になっている人もいました。
同窓会では、アカデミアの現状についても話を聞くことができました。私がいた頃から変わったこともたくさんありましたが、今も大学で基礎研究を続けている後輩たちからは「科研費を複数年で使えると助かるな」とか「学生がなかなか集まらないですよね」といった声も聞かれました。それこそ何十年も前から言われていることが、令和の今になっても変わっていないことに何とも言えない気持ちになりました。
5月のコラム(「博士人材活躍プラン」でよぎる苦い過去)でも書きましたが、私にはアカデミアでの研究を諦めて民間企業に就職した過去があります。私は博士課程を修了したあと、米国の研究機関でポスドクをしていました。5年の任期が半分を過ぎた頃、日本で常勤ポストにつながる話があったので帰国したのですが、結局それが流れてしまい、泣く泣く研究の道を去ることになりました。
当時だったら、アカデミアに残って研究を続ける後輩を羨ましく思ったことでしょう。多分、心穏やかに話を聞くことはできなかったかもしれません。でも、そんなことはありませんでした。アカデミアを諦めてからもう15年以上経っていて、その間、私も製薬・ライフサイエンスの業界で4つの会社を経験しました。だからなのか、基礎研究に励む彼らには本当に頑張ってほしいし、心から応援したいと思いました。そうしないと、20年後、30年後、日本は底力を失ってしまうと感じました。
前述の5月のコラムにも書いていますが、人口減少を迎えた日本では、未来の世界を見据えて多様な研究によって知の水平線を広げつつ、それを社会の成長や発展にどうつなげていくのか、議論と実装に向けた活動が必要で、そこにアカデミアや研究者という存在は欠かすことができません。
基礎研究の多様性を維持するにはお金がかかります。でも、将来の社会全体の成長と発展を牽引する、波及効果の高い力を秘めていると思うんです。この点は多くの人に納得してもらえるのではないかと思う反面、さまざまな課題がある社会の中で、国としてそれを優先順位の高く位置付けるかどうかはまた別の問題だったりもします。
ここはやはり、世の中を味方につけるしかありません。そのためには、研究者自身も社会と対話し、アピールしていくことが必要でしょう。多様な研究を応援してくれる社会ができたら、こんなに嬉しいことはないですよね。私も、研究からは離れましたが、そうした社会づくりに何かしらの形で関わっていきたいと思っています。
※コラムの内容は個人の見解であり、所属企業を代表するものではありません。
黒坂宗久(くろさか・むねひさ)Ph.D.。アステラス製薬アドボカシー部所属。免疫学の分野で博士号を取得後、約10年間研究に従事(米国立がん研究所、産業技術総合研究所、国内製薬企業)した後、 Clarivate AnalyticsとEvaluateで約10年間、主に製薬企業に対して戦略策定や事業性評価に必要なビジネス分析(マーケット情報、売上予測、NPV、成功確率、開発コストなど)を提供。2023年6月から現職。SNSなどでも積極的に発信を行っている。 X:@munehisa_k note:https://note.com/kurosakalibrary |