(写真:ロイター)
アルツハイマー病治療薬ドナネマブ(一般名)を米国に続いて日本でも承認申請した米イーライリリー。世界同時開発の方針に沿って新薬を相次いで市場に投入しています。ドナネマブの可能性や開発パイプラインの状況について、来日したダニエル・スコブロンスキー最高科学・医学責任者に話を聞きました。
米イーライリリー最高科学・医学責任者のダニエル・スコブロンスキー氏
重点領域はサイエンスで見定め
――ヘルスケア産業の世界時価総額ランキングでトップに立ちました。開発パイプラインに対する高い期待が反映されていると考えますが、その原動力はどこにありますか。
時価総額は将来のパイプラインの潜在力に基づいて決まります。リリーは過去10年の間に免疫、ニューロサイエンス、オンコロジー、糖尿病の重点4疾患領域で20の新薬を上市しました。さらなる新薬候補も控えています。ポートフォリオ自体が比較的新しいことと、新薬が相次いで開発されていることが成功要因だと考えています。
リリーは長年にわたって同じ領域を手掛けてきました。アルツハイマー病や肥満では20年以上の歴史があります。成功に至る道のりでは多くの失敗もありましたが、これから先も重要な医療上の課題に対応していきます。重点とする領域は経時的に変わることもありえますが、特に新しい領域を戦略的に選ぶのではなく、サイエンスで見定めていくのが基本方針です。
――オンコロジー領域では10月3日にポイント・ファーマを14億ドルで買収すると発表ました。2019年にもロクソ・オンコロジーを80億ドルで買収しています。
オンコロジーは非常に重要な医療領域にもかかわらず、4~5年前の段階で研究開発の進捗遅く不満がありました。「ベージニオ」(乳がん)くらいしか新薬がなかったため、標的療法への集中という変化を起こそうとロクソを買収しました。組織的にはがん研究をロクソのチームが担当することになり、大きな成功を収めました。
リリーは全ての治療領域で成長を目指しており、買収は機会があれば今後も手掛けたい。今年は免疫療法でダイス・セラピューティクスを、肥満領域ではバーサニス・バイオも買収しました。
世界同時開発「投資に対する考え方変わることも」
――世界同時開発戦略の下、日本ではこれまでグローバルのポートフォリオを100%カバーしてきました。薬価制度への批判がある中、従来通り投資を続けますか。
世界同時開発は10~15年ほど前に決断し、日本もそこに含めました。グローバルで承認された後に日本という順番ではなくなり、結果としてタイムラグをなくすことができました。最近では潰瘍性大腸炎治療薬「オンボー」(一般名・ミリキズマブ)を世界に先駆けて日本で最初に上市しています。
ただ、日本の医薬品市場は薬価制度によって停滞しており、業界全体として見ると他国に遅れて日本で承認されるという状況が多く見られます。価格の問題があるからです。リリーは日本に対する新薬開発投資を継続しますが、現在の世界同時開発戦略については状況を注意深く見守っていく必要もあります。日本国民に対するコミットメントは強く感じていますが、投資に対する考え方が変化することもあり得るわけです。
開発や創薬が日本発ではなくなる可能性も出てきます。日本のアカデミアは世界有数の素晴らしいレベルを誇りますが、大学で創薬の発見があってもエコシステムが整備されていないため、シーズをバイオテクノロジー企業が開発し、さらに先に進んで大企業が扱うというチャンスがなかなかありません。イノベーションのアイデアをいかに創薬へとつなげるかが、他国に比べて少し弱いという感じです。
マンジャロ 想定上回る需要
――最近発売した新薬では、糖尿病治療薬「マンジャロ」(チルゼパチド)はゲームチェンジャーになるとの自信を示していましたが、GLP-1製剤全体がグローバルで供給が需要に追いついていません。
マンジャロに対する需要は想定を上回っており、供給はかなりタイトです。工場を新設していますが、実際に製造を開始するまでには時間がかかります。早く供給量を増やしたいのですが、同時に需要も非常に早く立ち上がっているのが現状です。
肥満症の適応でも欧米で承認申請していますが、世界には十億人の肥満症患者がおり、リリー1社で十分な供給量を確保するのは難しい。そのため、グローバルな肥満の問題に対応するために経口GLP-1製剤の開発を進めています。中外製薬から導入したオルフォルグリプロン(一般名)で、これが製品化されると供給問題は緩和されていくと思います。
オルフォルグリプロンは現在、グローバルで臨床第3相(P3)試験を実施中です。素晴らしいイノベーションが日本の企業から出てきました。そう遠くない時期に申請ができるスケジュール感で、楽観的に見ています。肥満症と2型糖尿病を対象に行った臨床試験データの一部が、ニューグランド・ジャーナル・オブ・メディスン(NEJM)とランセットで公表されています。
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――オルフォルグリプロンの体重減少効果は。
論文によると15%ほど下がっています。これは6カ月の試験ですが、下降曲線はプラトーに達しておらず、下がり続けている。より長期の試験ではさらに良好な結果が出るでしょう。注射のGLP-1製剤と同じような効果があると考えています。
ただ、マンジャロはGLP-1とGIPの2つのメカニズムで働くため、有効性がより高いと考えられます。オルフォルグリプロンはGLP-1だけで、注射のGLP-1製剤並みでもマンジャロほどではないかもしれません。
肥満症は重点領域のひとつです。チルゼパチド(マンジャロ)は臨床試験で26%の体重減少が認められています。非常に高い数値で、肥満手術と同じような結果です。
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「オンボー」世界に先駆け発売
――潰瘍性大腸炎治療薬オンボーは「便意切迫感」が訴求ポイントですが、他社からも多くの抗体製剤やJAK阻害剤が発売されており、競合が激しい領域です。
オンボーはIL-23p19をターゲットとする新しいクラスの薬剤で、世界でいち早く日本で上市しました。臨床試験ではさまざまな尺度で有効性が示されましたが、最も重要な点が便意切迫感です。潰瘍性大腸炎の患者は1日に何度も排便があり、しかも予期せぬタイミングで起こります。QOLにとって大きなマイナスですが、臨床試験ではその減少を達成しました。
ただ、便意切迫感が差別化のポイントになる一方で、潰瘍性大腸炎やクローン病では多くの患者さんが1つの薬剤が奏効しなかった場合に別の薬剤を試してきたという歴史があります。オンボーも含めて、すべての患者に有効性を発揮できるわけではなく、試行錯誤的なところもあります。
「トリプルG」ポテンシャルは
――申請が近い新薬としては2型糖尿病・肥満症治療薬のレタトルチド(一般名)があります。GLP-1、GIP、グルカゴンをターゲットにしていますが、マンジャロを超えるプロファイルを持っているのでしょうか。
NEJMに掲載されたP2試験データによると、投与48週で24%の体重減少を示しています。その先も減少が続いており、長期的にはより大きな効果が期待できます。GLP-1とGIPを組み合わせたチルゼパチドは優れたイノベーションでしたが、レタトルチドは標的にグルカゴンを加えることでさらに体重が減少し、脂肪肝など肝臓にも効果を発揮します。チルゼパチドと同様、1週間に1度の注射剤として開発中です。
レタトルチドの上市後、医療現場でマンジャロとどう使い分けられるかは予測困難です。マンジャロで治療目標を達成できない場合や、BMIが非常に高いか肝疾患・脂肪肝があればレタトルチドが選択されることが考えられます。逆にBMIが低くて2型糖尿病を患っていればマンジャロという選択肢があるでしょう。ただ、これに関してはあまり考えたくないですね。われわれは効果の高い新薬を開発することが使命であり、どう使われるかは医師や患者次第です。
――先行して販売しているGLP-1製剤「トルリシティ」はマンジャロに切り替わっていますか。
それほど頻繁に切り替えられてはいません。トルリシティで治療目標はほぼ達成できるケースが多いので。トルリシティについてはいまだに世界中で関心が高いのですが、マンジャロはそれよりも少し早いスピードで成長しています。新患ではマンジャロの処方がトルリシティを上回りますが、それでもトルリシティを使う患者は多くいます。
ピルトブルチニブ「エキサイティングな薬剤」
――血液がん領域ではピルトブルチニブ(一般名)が今年2月に米国で承認されました。日本の状況は。
タイムラインは分かりませんが、日本でも承認を目指します。米国ではマントル細胞リンパ腫の適応で迅速承認されました。最も大きなチャンスは慢性リンパ性白血病の適応です。まだ世界のどこでも承認されていません。B細胞性の血液がんでは、ほとんどの患者で既存治療が奏効しなくなりますが、ピルトブルチニブはほかのBTK阻害剤が効かなくなった場合に使用できるエキサイティングな薬剤です。セカンドラインでの申請ですが、ファーストラインも検討しています。
ドナネマブ 競争ではなく選択肢
――いま最も注目を集めているのはアルツハイマー病(AD)疾患修飾薬ドナネマブです。米国では迅速承認が却下されたあと、今年7月に申請を完了しましたが、先に市場に出たレカネマブとの比較も含めてドナネマブをどう評価していますか。
上市前であり、まだ評価は分かりませんが、ドナネマブは極めてプラーク特異的というユニークな特徴があります。プラークを速やかに除去でき、それが有効性のプロファイルにも反映されています。アルツハイマー病では達成されたことがないような有効性です。
重要なのはプラークが除去できれば投与を中止できることです。12カ月で12回投与しますが、約半数の患者でブラークが除去され、投与を中止できるのです。実際、中止した患者も継続している患者と同じ効果が得られています。アルツハイマー病の管理はとても難しく、一定の期間、1カ月に1回の投与を続けるのは大変です。その意味で患者にとってのアドバンテージがある。中止できること自体がメリットだと思います。
迅速承認が認められなかったのは、アミロイドの除去スピードが速く被験者の数が要求されたデータ数を満たさなかったためです。P2試験では約150人に実薬が投与されましたが、半数で12カ月のデータが得られなかったのです。
――ドナネマブのP3試験では、認知機能の低下を35%程度遅らせました。レカネマブの進行抑制は27%です。ドナネマブは日常生活機能(ADL)の低下も40%抑制しています。
それぞれ登録されている被験者が違うため、比較は難しいと思います。ドナネマブの試験には、より重症で症状が進行した患者が含まれています。通常、こうした患者では治療は困難となります。ドナネマブについては、認知機能の低下がスローだということが言えると思います。
ADL低下の40%抑制には大きな意味があります。アルツハイマー病では経時的にADLが徐々に低下していくことを考えると、ドナネマブでそれを40%抑制できるのであれば大きな違いだと思います。治療を受けていてもADLの低下は起こりますが、臨床試験ではドナネマブの投与により約半数の参加者では1年間で臨床症状に有意な変化は見られていません。早期のアルツハイマー病ならその時点で進行が止まれば現状の生活を維持できることになります。
次世代抗体も開発
――日本での申請は9月に完了しました。レカネマブに半年ほど遅れる形ですが、一般的には先に市場投入された方にアドバンテージがあります。
アルツハイマー病は新しい領域で、疾患修飾薬がない状態が長年にわたって続いていました。日本ではエーザイとリリーの両社が大変な努力をして認知症の早期発見・診断の実現のための医療システム構築に向けた努力してきました。その結果として、より多くの早期患者が診断や治療をされるようになりました。2つの薬剤はそれぞれ特性が違います。2社間の競争という見方ではなく、2週間に1度、4週間に1度など様々なレジメンがある中で、医師や患者にとって選択肢があるのは良いことだととらえています。
――開発中のレムテルネタグは次世代の抗体で、ドナネマブより効果が優れるということですが。
レムテルネタグは次世代のプラーク除去剤です。作用機序は同じですが、ドナネマブよりも速やかにプラークを除去できます。短期間で済み、投与量も少ない。現在は静注として開発していますが、皮下投与も可能になるかもしれません。P3試験の段階で先行きはまだ見通せませんが、他社を含めてそれ以外に開発中の有望な新薬はなく、近い将来にはレカネマブ、ドナネマブ、レムテルネタグの3剤による治療になるのでしょう。