8月22日に筑波大と弘前大が発表した「ノーベル賞級の研究成果やイノベーションの創出を促す研究費配分を解明」と題するプレスリリースが話題を呼びました。
読んだ人も多いと思いますが、これは科学誌「PLoS ONE」に掲載された「The effectiveness of Japanese public funding to generate emerging topics in life science and medicine.(生命科学・医学分野における萌芽的トピック創出に対する科研費の費用対効果)」という論文を紹介したもので、プレスリリースの冒頭にはこんなことが書かれています。
「生命科学・医学分野に配分された1991年以降の科研費をすべて調べた結果、萌芽的トピックやノーベル賞級トピックの創出を促すには、受給する研究者にとっては高額研究費を得るほど多くの成果を創出できる一方で、投資効率としては少額研究費を多くの研究者に配る方が効果が高いことを見出しました」
生命科学・医学分野に配分された18万件以上の科研費と研究成果の関係を分析した結果、「選択と集中」より「広く薄く」配分したほうが画期的な成果を効率良く生み出せるというのです。
「やっぱりな」と思いましたし、多くの人も「そうだろう」と感じたのではないでしょうか。選択と集中の問題については、これまでもいろんなところでいろんな人から指摘がなされてきました。冒頭で紹介した研究成果はこうした指摘の裏付けとなるものであり、研究チームには「ありがたい仕事をしてくれた」と感謝したいです。
この話題は、私もアカデミアで研究をしていた2000年代はじめに耳にしたことがあり、問題は解決するどころかさらに深くなってしまっていると言わざるを得ません。最近話題の「10兆円大学ファンド」もそうです。初の支援先候補に選ばれたのは東北大ただ1校のみで、選択と集中の極みのように映ります。
高い山には広い裾野
X(旧Twitter)でも、多くの人がこの話題に触れていました。「当たりくじだけ買うことはできない」などいろんな言い方はありますが、どこでどんな芽が出るかわからないのが基礎研究であり、だからこそ公的な研究費を幅広く配る必要があるという意見が多かった印象ですが、一方でない袖は振れないという現実的な声もありました。
私は、研究の裾野は可能な限り広げておくのがいいと思っています。富士山のふもとには広大な裾野が広がっていますが、山を高くするには広い裾野が必要です。逆に言えば、狭い裾野の上に突き抜けた山を築くことはできません。
冒頭のプレスリリースを見て、日本の科学技術力低下について書いた4年前のnoteの記事を読み返してみました。「日本の科学技術力低下 データから見える2つの課題」という日経新聞の記事を読んで感じたことを書いたものですが、この記事では日本の科学技術力低下を止めるには「優秀な若手が研究者を目指さない」「新分野への挑戦が少ない」という2つの課題を解決することが不可欠だと書いています。選択と集中の問題はここにもつながっているのではないでしょうか。「選択と集中」は「研究の多様性の喪失」であり、新しい発見が減るということは、応用につながる成果が減るということです。それは結果として産業の衰退を招くことであり、良いことはありません。
医薬品産業の核となるサイエンスを支えているのは基礎研究です。基礎がなければ応用もないのです。
選択と集中に走ったということは、日本が余裕を失ってしまったということなんだろうと思います。であればこそなおさら、「薄く広くが効率的」という指摘はきちんと受け止めていただきたいものです。
※コラムの内容は個人の見解であり、所属企業を代表するものではありません。
黒坂宗久(くろさか・むねひさ)Ph.D.。アステラス製薬ヘルスケアポリシー部所属。免疫学の分野で博士号を取得後、約10年間研究に従事(米国立がん研究所、産業技術総合研究所、国内製薬企業)した後、 Clarivate AnalyticsとEvaluateで約10年間、主に製薬企業に対して戦略策定や事業性評価に必要なビジネス分析(マーケット情報、売上予測、NPV、成功確率、開発コストなど)を提供。2023年6月から現職でアドボカシー活動に携わる。SNSなどでも積極的に発信を行っている。 X(Twitter):@munehisa_k note:https://note.com/kurosakalibrary |