専門医向けにライブ研究会プラットフォーム「e-casebook LIVE」を運営し、製薬企業や医療機器企業のマーケティング支援も行うベンチャー企業ハート・オーガナイゼーション(大阪市)。コロナ禍によるデジタルシフトで急速に事業を拡大してきた同社の畑中佑介氏は、今後、医薬品のマーケティングにとって重要となるのは「学ぶ意欲の高い専門医」と話します。
医師の学びにもデジタル化の波
――コロナ禍で「e-casebook」のユーザー数が大きく伸びたそうですが、医師の学びにはどのような変化が起こったのでしょうか。
コロナ前から起こっていたデジタルシフトの波が大きくなり、学会や研究会といった医師の学びの場もデジタル化を迫られることとなりました。最初は抵抗感もあったと思いますが、変化を通して医師にもウェブの良さが認識されるようになったと思います。
今年に入って学会の現地開催も増えてきていますが、われわれが今年4月に行ったアンケートでは、年齢に関わらず多くの医師がハイブリッドやオンデマンドなどウェブで学会を見られるオプションを希望していました。学びの内容や医師の興味・関心そのものに大きな変化は見られませんが、デリバリーの仕方は大きく変わりました。
そんな中、e-casebookの会員数はこの3年間で1万人強から5万4000人にまで拡大しました。もともと循環器領域を中心に学会や研究会のライブ配信サービスを行っていて、学会の参加登録や単位管理なども請け負っていましたので、口コミがもととなって新たに使おうと考える団体が増えたのだと思います。コロナが流行って久しくなり、今ではさまざまなプラットフォームがこういった仕組みを持っていますが、当時はそうした機能を持っているところが少なかったんです。
――e-casebookがターゲットとしているのは主に専門医ですが、どんな特徴がありますか。
e-casebookが注力しているのは、循環器内科、脳神経外科、整形外科、消化器科の4領域で、それぞれでバーティカルにプラットフォームを展開しています。学会や研究会のウェブ開催に加え、医師が監修したコンテンツや、製薬企業や医療機器メーカーが監修したコンテンツの配信を行っています。ドクター to ドクターの発信が多いのが1つの特徴で、医師にはノンスポンサーで中立的なコンテンツを学べる場所として認識してもらっていると思います。
さまざまな医師が使うプラットフォームが多い中、われわれは限られた専門性の高い医師のみをターゲットにしています。ユーザーの幅は狭いですが、彼らの学ぶ意欲は高い。e-casebookはこうしたプラットフォームのなかで唯一、視聴に対するインセンティブ(ポイントの付与など)を設けていませんが、それでも会員のアクティブ度は高いと自負しています。
私自身、最初はこのことが信じられませんでした。私はMRを経験したあと、エムスリーに入り、当社に来る前はヤンセンファーマでデジタル戦略を担当していました。これまでの経験からインセンティブがなければ医師はプラットフォームに来ないと思っていたんですが、e-casebookは(入社当時主にターゲットにしていた)循環器領域でインセンティブがなくても高いアクティブ度を維持できていた。驚くとともに、ほかの領域でも同じことが起こるなと感じました。
畑中佑介(はたなか・ゆうすけ)ハート・オーガナイゼーション営業担当執行役員。2020年9月に同社に入社し、22年4月から現職。現在はe-casebookの営業を統括している。(写真は同社提供)
――アクティブにするためにどんな工夫をしていますか。
学会や研究会は限られた回数しか開催されませんので、ユーザーをアクティブにするという意味では医師の監修する教育ライブが一役買っています。最もユーザー数の多い循環器領域では、月に5本くらいの企画を配信中です。社内にコンテンツディレクターを置いていて、元MRでもある彼らが医師と議論しながら一つひとつの企画を練っています。医師側の課題をもとに企画を立てたり、KOLの医師にこちらから依頼したり。たとえば、20回ほど連載を続けている心不全に関するコンテンツは、学会の会長を務める医師の「心不全について学会でディスカッションする場がない」という問題提起から生まれました。
情報の価値は受け取り方で変わる
――製薬企業や医療機器メーカーの利用も増えているそうですね。
単純に医師の会員数が増えてきたので、企業のターゲット層とマッチする可能性が上がり、マーケティングに活用する企業の数も増えています。特に、循環器の中でも虚血の領域は大半の専門医をカバーできていますので、抗凝固薬や脂質異常症治療薬を扱うメーカーが集まっている。現在は医療機器、医薬品をあわせて50件ほどの案件を進めています。
製薬企業はオムニチャネルを構想してタッチポイントを増やす方針をとっていると思いますが、われわれもその1つとして少しずつ認識されてきていると感じています。以前はほかのプラットフォームと一括りにされていた部分もありましたが、使い分けが進んできて、e-casebookは専門医向けのプラットフォームとして選択肢に入れてもらっています。実際、各プラットフォームでリーチできる医師は異なるようです。
――専門医が集まるプラットフォームで、企業の情報発信にはどういったものがありますか。
2つあります。医療機器に多いのは、特に専門性の高い医師が使うカテーテルのデバイスなどで、ダイレクトに専門医にアプローチしたいケース。製薬会社にもこういったケースは一定数ありますが、一方で抗凝固薬など「広く使われる薬だからこそ専門医が興味を持ってくれない」という課題を抱えているクライアントも多く存在します。
手技に特化している医師は、カテ室(心臓カテーテル室)やオペ室にこもっていてMRが会おうと思っても会えないし、薬剤投与にもそれほど興味がないんですね。実際、虚血の分野の有名な医師でも、抗凝固薬に多くの種類があることを知らなかったりします。「そんなにいっぱいあるの?」って。
ただ、そういった医師がウェブを利用しないかというと、そんなことはありません。手技のライブデモンストレーションなどを通じてそういう医師が集まっているからこそリーチできる部分があると思っています。
――発信に対する反応は。
先ほど、アクティブ度合いに関わるのは医師監修のコンテンツだと話しましたが、それ以外のコンテンツも視聴傾向に大きな違いはありません。企業監修企画に限ってみても、5分以上の視聴継続率が90%で、平均視聴時間も60分の講義であれば42分間(70%)。医師は専門的な知見・技術を学ぶために集まっているので、離脱率は低いです。
こうした、情報を受け取る姿勢や受け取り方でその後の行動も変わってくるのではないかというデータもあります。ある製薬会社と「同一セミナーをe-casebookと別のプラットフォームで同時に配信し、4カ月後の処方行動への影響を見る」という効果測定実験を行ったんです。そこで分かったことは2つあって、1つは「セミナー未視聴の医師に比べて視聴した医師のほうが処方数が伸びる」、もう1つは「別のプラットフォームよりもe-casebookを見た医師のほうが処方数の伸びが大きい」。これをもってすべてを言うことはできませんが、熱心な視聴がその後の行動変化にもつながると示唆されます。
――コンテンツそのものへの自信にもつながりますね。
そうですね。ただ、裏を返すと、面白いものはよく見られるし、つまらないものは全く見られません。インセンティブがない分、結果が素直に出やすい。医師が本当に求めていることと企業が伝えたいことは必ずしも一致しませんので、どうしてもギャップが出ることはあります。
われわれも企業に視聴傾向やアンケート結果をフィードバックし、どういうテーマ、切り口を選べば医師が集まりやすいか提案し、一緒に企画を作っていくこともできます。ただ、競合品との比較など、レギュレーションの問題で踏み込めないところもある。そこはわれわれがオリジナルのコンテンツを作ってギャップを埋めていく考え方で進めています。
製薬会社が扱う薬は、専門性の高い医師が処方する薬剤にシフトしていて、それだけ専門医が今以上に重要になっていくと思います。われわれは現在、4つの領域で事業を展開していますが、領域をさらに広げていきたいですし、一つひとつを深めていきたい。専門医に必要とされるプラットフォームとなり、企業にとっては専門医につながれる架け橋のような存在になりたいです。