抗菌薬の開発促進策として、開発企業に承認取得後の売り上げ・利益を保証する「プル型インセンティブ」への期待が高まっています。英国ではサブスクリプション型償還モデルのパイロットが行われており、今年6月から塩野義製薬のセフィデロコルなどを対象に定額支払いを開始。日本でも、厚生労働省が来年度から企業に一定の収入を保証する制度の試行を目指しています。
塩野義のセフィデロコル、英で定額支払い
収益の予見性が低く、海外では「壊れたビジネスモデル」とも言われる抗菌薬市場で、発売後の売り上げ・利益を保証することによって市場参入を促す新たな仕組みが模索されています。
英国で今年6月、塩野義製薬の新規抗菌薬セフィデロコル(製品名・Fetroja/Fetcroja)のサブスクリプション型償還が始まりました。サブスクリプション型償還は、国が固定報酬を支払う代わりに、必要なときに必要な量の薬剤を受け取ることができる制度。塩野義は、実際の処方量に関わらず、対価として定額を受け取ることになります。セフィデロコルは2020年12月に同制度に採択され、NICE(医療技術評価機構)の評価を経て、国民保健サービス(NHS E&I)と契約を結びました。契約に基づき、塩野義は3年間支払いを受けるとともに、最大で7年延長するオプションも付与されています。
塩野義が創製したセフィデロコルは、世界保健機関(WHO)が優先度の高い病原菌に指定する「カルバペネム系抗菌薬に耐性を示すグラム陰性菌」に活性を示す新規シデロフォアセファロスポリン系抗菌薬。鉄と結合する構造を持ち、グラム陰性菌が養分とする鉄を取り込む機序を介して細菌内に侵入し、細胞壁合成を阻害します。グラム陰性菌による複雑尿路感染症や院内肺炎の治療に使用されており、WHOの必須医薬品リストにも掲載されています。2019年に米国で、20年には欧州で承認され、2022年3月期には62億円を売り上げました。
今回、英国のサブスク償還に採択されたのは、セフィデロコルと米ファイザーのceftazidime /avibactam(製品名・Zavicefta/Avycaz、第3世代セファロスポリンとβ-ラクタマーゼ阻害薬の配合剤)の2剤。対価の詳細は明かされていませんが、NHSは契約金額の上限を「他国が同様の金額を支払った場合に投資インセンティブとなるレベル」で設定しており、1剤あたり年間最大1000万ポンド(約16億円)が支払われる見込みです。
セフィデロコルはスウェーデンでも、最低支払い額を保証する「delinked incentive model」の対象品目に選定されています。
セフィデロコルのアクセス拡大に向けた取り組み。日本で今年3月に申請。6月には、非営利団体「グローバル抗菌薬研究開発パートナーシップ 」(GARDP、本部・スイス)、グローバルヘルス組織「クリントン・ヘルス・アクセス・イニシアチブ」(CHAI、本部・米国)と連携し、新興国など135カ国へのアクセス拡大に向けた取り組みを開始した。
収益性低く開発停滞
今年1月に医学雑誌Lancetで報告された研究によると、2019年のAMR(薬剤耐性)感染症による死者数は全世界で推定約127万人。過去の推定から倍増となったその人数は、肺がんやHIVによる死者数を上回るとされています。
日本でも、AMR感染症による死者数は少なくとも年間約8000人を超えるとの報告があり、切り札的存在であるカルバペネム耐性の細菌感染症も増加傾向にあります。このまま対策が講じられなければ、AMR感染症による死者数は今後も増え続けると懸念されており、新たな抗菌薬の開発と、耐性菌の発生を防ぐための適正使用がますます重要となっています。
AMR感染症の脅威に対する認識が広がる一方で、新規抗菌薬の開発は停滞しています。▽慢性疾患に比べて投与期間が短く、収益性が低い▽AMR対策で厳格な適正使用が求められるため、使用量に応じた収益を期待しにくい――などが理由で、ビジネスの原理だけで動かすのは難しい分野だと言われます。
実際、この分野から撤退する企業もあり、世界の大手製薬企業で抗菌薬開発を手掛けているのはごく一部に限られます。かつて世界標準の抗菌薬を開発してきた日本の製薬企業も例外ではありません。
日本製薬工業協会国際委員会と同協会のシンクタンクである医薬産業政策研究所の共同調査によれば、国内の抗菌薬の承認数は、1990~99年の27から、2010~19年には11に減少。10~19年に世界で承認された18の新規抗菌薬のうち日本で承認されたのは6品目にとどまり、未承認薬の中で国内で開発されていることが確認されたのも、塩野義のセフィデロコル(申請中)とファイザーのceftazidime/avibactam(臨床第3相試験実施中)の2剤だけでした。10~19年に国内で承認された抗菌薬の6割は欧米の承認から5年以上遅れており、大きなドラッグ・ラグが存在しています。
使用量と収益を切り離す
停滞を打破するには、抗菌薬ビジネスの予見性を高める経済的な支援が必要です。代表的なものに、承認取得までの研究開発費を支援する「プッシュ型インセンティブ」と、開発が成功した場合に報酬を与えたり、発売後の売り上げ・利益を保証したりする「プル型インセンティブ」があります。
プル型インセンティブとしては、米国で2011年に「特許独占期間の延長」が導入されましたが、低薬価の抗菌薬ではその効果は限定的でした。実際、新規抗菌薬の承認を取得した中小バイオテックは十分な利益を得ることができず、アミノグリコシド系抗菌薬plazomicinを開発したAchaogenのように倒産する企業も出ました。
こうした状況で、抗菌薬の研究開発に対する持続可能な投資を後押しすると期待されるのが、英国やスウェーデンで試行されている売り上げ保証制度です。英国が行うサブスク型償還、スウェーデンが行う最低支払い額保証のほかに、承認取得時に報償を支払う「Market Entry Rewards」(製造販売承認取得報償付与指定制度)なども検討されています。
これらの収入保証制度は、抗菌薬の使用量と企業の収益を切り離しており、適正使用を確保しながら収益の予見性を高めることができるため、市場の構造的な問題を解決しうると考えられています。
英国はパイロットを通じてサブスクモデルの実現可能性を検証しており、将来的には他国でも同様のモデルが導入されることを目指しています。英国のサブスクモデルで支払われるのは、あくまで他国が同様の支払いを行った場合にインセンティブとなる金額であり、企業の開発を後押しするには多くの国が足並みを揃える必要があります。米国では2020年、超党派の議員がサブスクリプション型インセンティブを盛り込んだPASTEUR法案を提出。医学界や製薬業界から法案成立を求める声が高まっています。
国内でも同様の動きが出ており、厚生労働省は収入保証制度の試行的実施に向け、2023年度予算の概算要求に18億円を盛り込みました。国が企業に一定額の収入を保証するとともに、販売量を適正な水準に保つ仕組みを想定しています。