NEC(日本電気)は今年4月、感染症流行対策イノベーション連合(CEPI)とともに、AI(人工知能)を使ってベータコロナウイルス属全般に対応可能な汎用ワクチンの開発に着手したと発表しました。CEPIは企業や研究機関にワクチン開発の資金を提供する国際基金。NECには初期段階の投資として最大480万ドル(約6億4800万円)を拠出しました。
NECは2019年にAI創薬事業に本格参入して以来、個別化ネオアンチゲンワクチン(がんワクチン)の開発に注力してきました。同年、ノルウェーでネオアンチゲン予測ソフトウェアを開発するオンコイミュニティ(現・NECオンコイミュニティ)を買収し、翌年には仏トランスジーンとネオアンチゲンワクチンの臨床試験を開始。20年4月には新型コロナワクチンに取り組みを広げ、感染症とがんの2つの領域で開発を進めています。
NECのAI創薬への取り組みと今後の展望について、同社AI創薬統括部の北村哲統括部長に話を聞きました。
NEC AI創薬統括部の北村哲統括部長(同社提供)
抗体産生+T細胞誘導で免疫を持続
――コロナウイルスに対する汎用ワクチンの開発に取り組んでいます。
現在、新型コロナワクチンとして使用されているmRNAワクチンやウイルスベクターワクチンは、効果の持続期間が半年ほどと言われていますし、変異に弱いため、追加接種やワクチンの作り直しが必要になります。
今回、われわれがCEPIと開発する汎用ワクチンもmRNAワクチンとして開発することを考えていますが、既存ワクチンと同様に体内で抗体を産生させるのに加え、T細胞を誘導させるアプローチをとります。これはがんワクチンでも使っている技術で、感染細胞(がんワクチンの場合はがん細胞)に発現する抗原を予測する技術を活用して、T細胞に感染細胞を攻撃させます。T細胞を誘導する抗原はウイルスの変異しない部分から見つけることができるので、変異に強く、T細胞のメモリー機能によって上手くいけば10年ほど免疫が持続します。
ちょうど2年前、新型コロナウイルスに対するワクチンの設計を行った時には、当時入手可能だったウイルス(SARS-CoV-2)のゲノムデータ3000個を解析しました。今回は、100種類以上のベータコロナウイルス属のゲノムデータ650万個(4月時点)を解析し、それらに共通して存在する免疫原性の高い抗原を探索します。ワクチン設計の効率化に寄与できると考え、CEPIの公募に応募しました。
今回のプロジェクトでは、ノルウェーのオスロ大病院、欧州ワクチンイニシアチブ(EVI)とコンソーシアムを組んでいます。2023年10月をめどにコンピュータ処理とAIを使って候補を出すとともに、各候補に対してオスロ大で回復患者の血液を使った試験を行います。その後6カ月かけて、EVIが中心となってマウスを使った免疫反応試験を行う予定です。良いものが出てくれば、非臨床試験、臨床試験へと進むことになっています。
――汎用ワクチンに活用する技術は、個別化がんワクチンで培ったものだそうですね。
もともとNECが開発しているのは、がん患者さん一人ひとりのための治療用ワクチンです。使っている技術は、患者さんから採取したがん細胞と正常細胞から遺伝子変異を特定し、その中から抗原となる変異を予測するもので、ヒトのゲノムを解析します。
汎用ワクチンでは、それをウイルスのゲノムに対して行います。ウイルスのゲノムの情報の中から、どの部分が抗原として提示されるかを予測する問題に置き換えているのです。どちらの場合も、選び出した標的の遺伝情報をベクターに組み込んで投与します。その意味で、やっていることはすごくシナジーが効いている。同じメカニズムの予測AIを使っているので、片方を進めることでAIもどんどん賢くなれると思いますし、さまざまな相乗効果があると思っています。
どちらもT細胞を誘導するのですが、HLA(ヒト白血球抗原)型を考慮する必要があります。このとき、がんワクチンなら患者さん一人ひとりに合うものを計算させますが、コロナワクチンの場合はなるべく多くの人に効くような標的が見つからないかと計算させるんです。
――4月には、塩野義製薬とB型肝炎の治療用ワクチンの開発で提携しました。ほかの疾患でも協業を検討しているとのことですが、感染症領域にはさらに注力していく考えでしょうか。
感染症については、子会社のNECオンコイミュニティを中心にしっかりと取り組んでいくつもりです。塩野義とはB型肝炎の治療用ワクチンで提携していますが、感染症は予防・治療と広がりがあります。ほかの企業からも引き合いがあり、一緒にやれないか話しているところです。
「古いスタイルのワクチン屋にはならない」
――トランスジーンと開発しているウイルスベースのがん治療用ワクチン「TG4050」について、卵巣がんと頭頸部がんを対象に実施中の臨床第1相(P1)試験で良好な予備的データが確認されたと発表しました。免疫原性予測システムを活用した免疫応答のコンセプトについて、現在の感触を教えてください。
P1試験の途中結果を見る限り、なかなか良い結果が出ていると思っています。われわれにとって最も関心があるのは「ネオアンチゲン予測が当たっているのか」「がんの標的を見つけられているのか」です。1人の患者につき、30個標的を入れてヒット率を見ていくのですが、1/3程度が当たっているという結果が得られました。この領域では予測が全て当たらないこともある中、ファーストステップとしては有望な結果となったので、臨床効果に結びつくことを期待したいです。アンメットニーズの高い領域は今後、迅速承認なども視野に開発を進めたいと考えています。
――今年3月にはスイスVAXIMMのネオアンチゲン個別化がんワクチン事業を買収し、ワクチン合成のプラットフォーム技術の権利を獲得しました。狙いを教えてください。
この図は、われわれがAI創薬事業を始めた時に描いた絵です。診断から治療までのフローを表しているのですが、最初のころは、がんと診断されてゲノムデータが出てきてからの「免疫プロファイリング」と「遺伝子変異解析・ネオアンチゲン予測」をNECのテリトリーと定めていました。本業である計算処理でできるところですから、自分たちで技術を作ったんですね。ただ、われわれがやるとどうしても数学的なアプローチになってしまう。そこで、バイオのバックグラウンドを持っていて、当時ネオアンチゲン予測で世界一の技術を持っていたオンコイミュニティを買収して活動を続けてきたんですが、実際にワクチンを作るところはパートナーと協業するしかなかった。トランスジーンとはずっと一緒に治験をやっていますし、VAXIMMとも19年に共同開発提携を結びました。
とはいえ、いずれはワクチン合成を押さえないとバリューチェーンを完成できないということもあり、今年3月にVAXIMMのネオアンチゲン事業を買い取りました。ただ、われわれは古いスタイルのワクチン屋になるつもりは全くありません。われわれにとってワクチンは、あくまでデータビジネスだと思っています。ですから、最終的には患者さんのデータを収集して、自分たちのAIのアルゴリズムにフィードバックをかけてどんどん賢くしていく。下請けやパートナーの立場でもできなくはないですが、自分たちでやるほうが圧倒的にデータへのアクセスが容易になりますから、競争優位性につながると思っています。
――VAXIMMの技術は経口投与が特徴です。
VAXIMMの技術は、弱毒化されたサルモネラ菌のベクターの中に抗原を組み込む技術で、腸でマクロファージに食べられ、クロスプレゼンテーションが起こって、そこで免疫が惹起される仕組みです。通常、がんワクチンは注射剤で、VAXIMMの技術は飲み薬である点が大きな特徴ですが、製造コストを比較的安く抑えられる可能性もあり、モダリティとしてのポテンシャルは高いんじゃないかと思っています。
――そもそもNECがAI創薬としてネオアンチゲンワクチンに取り組むことになった経緯を教えてください。
NECは古くからAIの研究を進めてきました。1990年代後半、機械学習が流行っていたころ、お付き合いのあった先生からペプチドのアミノ酸配列を予測するという研究テーマをもらい、それが上手くいったんです。それを発表したのが2000年代初頭で、その後、先生はAIで選んだ抗原を使って臨床研究を始めました。
2000年代といえば、バイオは「冬の時代」とも言われていて、参入したIT企業は成果が出ずに引いていきました。NECも例外ではなく、途中で研究をストップしていた。ところが約10年後、先にお話しした先生が「臨床研究で何人かの患者さんに投与したら効いていそうだ」と教えてくれたんです。そのときに、ビジネスサイドで「開発したシステムが案外当たるのではないか」という仮説がたった。時を同じくして、2014年にオプジーボが発売され、世界が変わりました。免疫でがんを治療できることが証明された。その時、われわれとしてもそこに貢献できる技術を持っていたというのが大きな背景です。
さらに「どうもドイツではネオアンチゲンワクチンをやっているらしい」と、これも別の先生に聞きまして、聞いていくうちに、これこそITをフル活用する医薬だと思ったんです。ITがないとできないようなものなので、われわれとしてもやってみる価値があるんじゃないかと始めました。
SI事業のような、NECがもともとやっていた事業と、ハイリスクハイリターンの医薬は対極にあるビジネスです。だからこそ、投資予算のつけ方は工夫しました。製薬企業のようにパイプラインを10本走らせるなんていうアプローチはとれませんから、綱渡りをしながらいかに成功確率を高めるか苦慮しながらやっているのが実情です。臨床試験の確度を高める技術には強い関心がありますね。
――AI創薬というと、ツールやサービスとして提供されているものも多い中、あえて創薬1本で取り組んでいるのはなぜですか。
スマートに考えればITサービスを製薬企業に提供して使ってもらうのもいいと思います。ただ、個別化がんワクチンの場合、患者さんごとにゲノムを見るっていう最も重要な仕事をやるわけですが、サービスとして提供すると1解析あたり10万円とか20万円とか、そういう価格になってしまう。
がん免疫療法は高額ですが、サービスとして提供するだけではバリューが全然反映されないんです。当然ですよね。あくまでお金をかけて臨床試験を行うのは製薬企業ですから、予測にはなんの責任も発生しない。われわれは予測技能に自信を持っていますし、ユニークな治療法をつくれると確信しているので、われわれの技術を中心に治療法を模索したいと思っています。
だから、コラボレーションもかなりイーブンなスタイルでやっています。「あなたのためにわれわれが予測します」というサービスモデルではなく、「この予測をもとに一緒にやろう」というスタンスを目指しています。
――今後の展望について教えてください。
今、ネオアンチゲンワクチンの臨床試験を進めていますが、うまくいった暁には、患者さんのゲノムデータを大量に扱うことになります。そうなると、今はまだ起こっていない問題がどんどん出てくる。例えば「このゲノムデータは何年保存するのか」とか「このネオアンチゲンワクチンは確実にこの人の細胞からできていると保証できるか」とか。サプライチェーンのマネジメントも今までと変わりますし、その活動を通して新たなICTネットワークを構築することになると思っています。そうすれば、リアルワールドデータにアクセスすることも可能になる。こうしたプラットフォームづくりも、NECにとって非常に重要なミッションだと思っています。
医薬の世界のAI活用はまだまだ伸びると思います。NECには米国にも欧州にも「AIオタクの極み」みたいな人がいっぱいいるんですが、医薬の領域で一緒に仕事をするとみんな目を輝かせてやるんですよ。CEPIとのコロナワクチンプロジェクトでも、研究者たちの間で活発な議論が生まれています。