2021年に60億ドル(約6900億円)を売り上げた米ヤンセンのダラツムマブ。前年比で44%の増収を支えたのは、20年に米欧で、21年に日本でも承認された皮下注製剤です。この皮下注化の立役者は、ヒアルロン酸を加水分解する酵素を使った独自のドラッグ・デリバリー・システム(DDS)を持つ米バイオ企業のハロザイム・セラピューティクス。同社の技術とパイプラインをまとめました。
20mLまで皮下投与可能に
米ハロザイム・セラピューティクスは、「ENHANZE」と呼ばれる皮下投与のドラッグデリバリーシステム(DDS)技術を持つ企業です。
ENHANZEは、普通なら静脈注射で投与される多量の薬剤の皮下投与を可能にする技術。米ヤンセンの抗CD38抗体ダラツムマブを皮下注化した「ダラキューロ」(海外製品名・DARZALEX FASPRO)や、スイス・ロシュの抗HER2抗体トラスツズマブ(製品名・ハーセプチン)と同ペルツズマブ(同・パージェタ)の固定用量配合剤「Phesgo」などで活用されています。
技術の中核は、ハロザイムが開発した遺伝子組み換えヒアルロニダーゼ「rHuPH20」(ボルヒアルロニダーゼ アルファ)という、ヒアルロン酸を加水分解する酵素です。
ヒトの皮下空間には、繊維や細胞の間をゲル状のヒアルロン酸で満たしている層があります。ヒアルロン酸の層は流体の流れを妨げる物理的なバリアとして働くため、一度に多量の薬剤を皮下投与すると、注射部位が腫れ上がって痛みを生じたり、硬くなって(硬結)しまったりします。そのため、皮下投与では1回の薬液量を2mLより少なくするのが一般的です。
皮下のヒアルロン酸を一時的に分解
一方、rHuPH20を薬剤に配合すると、rHuPH20が注射部位のヒアルロン酸を局所的に分解し、バリアを除去。これにより多量の薬液を皮下空間に注入することが可能となり、薬剤を体内に浸透・分散させることができます。rHuPH20を配合することで皮下投与できる薬液の量は最大20mL。rHuPH20によるヒアルロン酸の分解は一時的なもので、通常は24〜48時間で回復します。
皮下投与の最大のメリットは、静脈内投与に比べて1回の投与時間を大幅に短縮できること。ダラツムマブの場合、従来の静注製剤は1回の投与に3時間以上(初回は7時間程度)かかり、併用薬の投与なども含めると入院が必要となるケースがほとんどです。これに対し、ダラキューロは3~5分で投与できるため、患者や医療従事者の負担は大幅に軽減されます。
ダラツムマブは皮下投与が大きく普及
ダラキューロは、米国と欧州で20年に、日本で21年に承認。新型コロナウイルスの感染が拡大する中、外来での治療が可能となることも後押しとなり、21年に米国で76%、全世界で推定58%の処方シェアを占めるまで普及しました。ダラツムマブの2021年の世界売上高は60億2300万ドル(約6900億円、前年比43.8%増)ですが、その半分以上はすでに皮下注製剤が稼ぎ出しています。
20年に米国と欧州で承認されたロシュのPhesgoも、1時間~1時間半程度の投与時間が10分以内に短縮され、21年には3億4000万スイスフラン(約408億円、6倍超)を売り上げました。ダラキューロやPhesgoの販売拡大もあり、ハロザイムの21年のロイヤリティ収入は前年比2.3倍の2億390億ドル、マイルストンなども含めた全社の売上高は66%増の4億4330万ドルと大きく増加。22年は5億3000~5億6000万ドルの売上高を見込んでおり、足元の業績は好調です。
ENHANZE技術は、ダラキューロやPhesgoのほか、ロシュのハーセプチンや抗CD20抗体「リツキサン」、武田薬品工業の免疫グロブリン製剤「HYQVIA」などにも活用されています(日本では、ハーセプチンとリツキサンの皮下注製剤は未承認)。日本では中外製薬が年内にPhesgoの申請を予定しているほか、HYQVIAは慢性炎症性脱髄性多発根神経炎・多巣性運動ニューロパチーの適応で臨床第3相(P3)試験を行っています。
同技術を活用した薬剤では、▽米ブリストル・マイヤーズスクイブの抗PD-1抗体ニボルマブ(製品名・オプジーボ)▽ロシュの抗PD-L1抗体アテゾリズマブ(テセントリク)▽ベルギー・アルジェニクスの抗FcRn抗体フラグメント製剤エフガルチギモド(ウィフガート)――が皮下注製剤として23~25年の承認を見込んでいます。
承認済みの点滴静注製剤の投与時間は、免疫チェックポイント阻害薬のオプジーボとテセントリクが30分~1時間、ウィフガートが1時間。いずれも、数分に短縮することを期待しています。
オクレリズマブやカボテグラビルがP1
このほか、27年までの承認を見込む開発パイプラインには、ロシュの最主力品となった多発性硬化症治療薬の抗CD20抗体オクレリズマブ(製品名・Ocrevus)や、アイルランドのホライゾン・セラピューティクスの甲状腺眼症治療薬の抗IGF-1R抗体teprotumumab(Tepezza)など、21年に静注製剤が10億ドル超を売り上げた大型品が並びます。
ハロザイムは昨年6月、抗HIV薬を展開する英ヴィーブヘルスケアと提携。カボテグラビルをはじめとする4種類の低分子、高分子化合物の皮下注製剤の開発に取り組んでいます。カボテグラビルは2カ月に1回投与する長時間作用型注射レジメンとしてヤンセンのリルピビリンとの配合剤が承認されていますが、ENHANZE技術を活用することで投与間隔を3カ月以上、最長6カ月まで延長できると期待されています。
HYQVIAで提携する武田とは、次世代品のTAK-881を開発しており、米国で免疫不全症を対象とするP1試験が進行中。先月24日には、中外製薬とも非公開のターゲットを対象にライセンス契約を結びました。
キイトルーダやサークリサも皮下製剤を開発中
ライバル企業でも皮下注化の動きが見られます。
免疫チェックポイント阻害薬では、米メルクが抗PD-1抗体ペムブロリズマブ(製品名・キイトルーダ)の皮下注製剤を開発しており、現在、非小細胞肺がん対象にP3試験を実施中。米ファイザーが膀胱がん治療薬として開発する同sasanlimabは、はじめから皮下注製剤での市場投入を狙っています。
がん領域ではこのほか、多発性骨髄腫治療薬として抗CD38抗体ダラツムマブを追う仏サノフィの同イサツキシマブ(サークリサ)も皮下注製剤化を目指しています。同社が活用するのは、米Enable Injectionsのウェアラブル皮下投薬システム「enFuse」。患者の皮膚に注射デバイスを装着し、最大50mLの薬剤を皮下投与できる技術です。米大手投資ファンド・ブラックストーン子会社のブラックストーンライフサイエンスからの支援も受け、今年後半にも臨床試験を開始するとみられます。
これまでにも関節リウマチ治療薬「アクテムラ」など、薬剤の濃度を高めることで皮下注製剤化を実現した製品はありますが、ハロザイムやEnableなどの技術により、こうした工夫では難しい医薬品も皮下投与できる可能性が出てきました。免疫チェックポイント阻害薬などでは、市場にも大きなインパクトがありそうです。