血液や尿といった体液サンプルを用いた低侵襲の検査「リキッドバイオプシー」が注目されています。国内では今年8月、中外製薬が初の血液検体を用いたがん遺伝子パネル検査を発売しました。がん領域では、治療選択のための検査だけでなく、再発リスクの評価や早期発見での活用も期待されており、中でも血中のマイクロRNAを解析する検査手法の開発では日本が世界をリード。一方、社会実装に向けては、検査精度の向上とともに、早期段階で介入可能な治療法の開発など周辺のイノベーションが必要とされています。
中外、国内初の血液検体のがん遺伝子パネル検査を展開
がん診断の分野で、血液や尿といった体液をもとに検査を行うリキッドバイオプシーへの注目が高まっています。2017年に保険収載された非小細胞肺がんのEGFR変異を検出するPCR検査「コバスEGFR変異検出キットv2.0」(ロシュ・ダイアグノスティックス)など臨床現場での活用が進む中、今年8月には中外製薬が国内初となる血液検体を用いたがん遺伝子パネル検査「FoundationOne Liquid CDx がんゲノムプロファイル」を発売。エスアールエルを通じて検査の受託を開始しました。
中外は19年から組織検体を用いたがん遺伝子パネル検査「FoundationOne CDx がんゲノムプロファイル」を販売しています。リキッドバイオプシーの意義について同社は、9月に行った説明会で「適切な腫瘍細胞の検体が確保できない患者や、検体が古くなってしまった患者などに新たながんゲノムプロファイル検査の選択肢が加わった」(同社の伊藤悟・ファウンデーションメディシンライフサイクルリーダー)と説明しました。
2つのパネル検査はいずれも、スイス・ロシュ子会社の米ファウンデーション・メディシンが開発したもの。324のがん関連遺伝子を解析でき、複数の分子標的薬のコンパニオン診断として使用されています。
エーザイは米PGDxと共同開発
リキッドバイオプシーによるパネル検査としては、米ガーダントヘルスが「Guardant360 CDx」を今年1月に日本で申請しています。FoundationOne Liquid CDxもGuardant360 CDxも、血液中の遊離DNA(cfDNA)内にある血中循環腫瘍 DNA(ctDNA)を次世代シーケンサー(NGS)で解析するもの。ctDNAはがんが進行するほど検出されやすくなるため、生検が困難な骨転移が認められやすい前立腺がんや乳がんの患者らに有用と考えられています。
国内では、ctDNAを対象とする検査として、MET阻害薬「テプミトコ」(メルクバイオファーマ)のコンパニオン診断システム「ArcherMET」(米アーチャー)なども使用されています。海外では米イルミナや米PGDxなど、複数の企業が開発中。PGDxは昨年1月、エーザイと共同研究開発契約を結び、500以上の遺伝子変異を網羅的に解析するがん遺伝子パネル検査の開発を共同で進めています。
miRNA解析、日本が世界をリード
リキッドバイオプシーの最大の特徴は、組織検体を使う検査に比べて低侵襲であることです。患者負担を軽減できることはもちろん、状態が悪い患者でも検査できる点や、繰り返し検査を行うことができる点から有望視されており、早期診断からプロファイリング、進行・再発後の治療方針決定、治療効果のモニタリングなど、幅広いシーンでの活用が期待されています。
再発リスク評価での活用をめぐっては、昨年6月に国立がん研究センターと日本医療研究開発機構(AMED)が大腸がん患者2500人を対象とした医師主導国際共同臨床試験を開始しています。試験では、患者の腫瘍組織に全エクソーム解析を行い、患者ごとにオリジナルの遺伝子パネルを作成。パネルに基づき、米Nateraの超高感度遺伝子解析技術「Signatera」で定期的にctDNAのスクリーニングを行い、再発リスクを調べます。有用性が示されれば、術後補助化学療法が必要となる患者の選別や、再発の早期発見につながると期待されます。
リキッドバイオプシーで解析対象となるのはctDNAだけではありません。体液に含まれるエクソソームやがん細胞、マイクロRNA(miRNA)、タンパク質などで研究が行われています。中でも、血中のmiRNA解析は日本が世界をリードしている分野です。
早期診断で実用化目指す
miRNAの分野では多くが、がんの早期診断での実用化を目指しています。がん細胞は正常細胞に比べてmiRNAの分泌量が多く、がん種によって異なるmiRNAが血液中に放出されることが知られています。早期発見から早期治療へとつなげ、治癒率の向上を狙っています。
国内では、2014年から18年にかけて、国がんを中心に胃がんや食道がんなど13がん種に対応する診断システムの開発プロジェクトが行われました。これに参加した東芝や東レなどが、現在も自社で開発を進めています。
東芝は今年3月、会員制の検診事業を展開するリゾートトラストが運営支援するミッドタウンクリニックなどと共同研究契約を結び、開発中のmiRNAを使った検査について1000人規模の検証を開始すると発表。一方、東レは、乳がんの新検診法の開発を目指し、昨年末から国がんなどと3000人を対象とする臨床試験を開始しています。同試験は、東レのマイクロアレイによるmiRNAの測定結果を、実際の乳がん検診(マンモグラフィー)の結果や乳腺エコー検査結果などと比較分析する試験で、来年3月までを予定。今後、乳がんを含めて13種類のがんで検証が行われる見込みです。
「ネクストステップ」の重要性
これら血液を用いた方法とは別に、1mLという微量な尿からがんを検査する方法を開発しているのが、名古屋大発ベンチャーのCraifです。尿からmiRNAを抽出・計測する独自の技術と、機械学習を用いた解析手法を開発しています。ラボのDXを徹底的に進めたことで効率的な精度管理を実現させており、自由診療で来年から卵巣がんなどのスクリーニング検査「miSignal」の提供を始める予定です。
「尿は最も採取が簡便。一番貢献できるのは受診率の向上だ」。Craifの水沼未雅COOは、11月末に行われたLINK-J(ライフサイエンス・イノベーション・ネットワーク・ジャパン)のイベントで、自社の強みをこう話しました。その上で、事業を展開する上でこだわっている点として「ネクストステップを明確にすること」を挙げます。
実は、がんのように有病率が低い疾患の場合、健康成人を対象とした検査では陽性的中率は高くなり得ません。検査の精度が98%だったとしても、有病率を0.1%(50代後半男性の肺がん罹患率とほぼ同じ)と仮定すると、10万人が検査を受けた場合、陽性と診断される2096人のうち有病者は98人となり、5%にも届きません(偽陰性は10万人中2人)。検査精度の数字が独り歩きしてしまうと、実際は陽性的中率が高くないにも関わらず、がんが見つからないことを不安に思ってしまう人も出てきます。実際、すでに市販されている検査を受けた人の中からは、そうした声も聞かれます。
「不安にさせすぎず、確実に次の検査につなげる必要がある」と水沼氏は話します。Craifの卵巣がんの検査では、ハイリスクと診断された場合、病院と連携して経膣エコー検査に誘導し、そこで異常が見られれば精密検査、生検へとつなげていくスキームを作っているといいます。
「社会的イノベーションを最初から考える必要がある」
さらに、同じイベントに登壇した慶応義塾大医学部腫瘍センターゲノム医療ユニットの加藤容崇特任助教は、治療サイクル全体でネクストステップに目を向けるべきだと指摘します。
がん検査の落とし穴として、加藤氏は「早期にがんを発見しても、結果的に長生きにつながらないこと」「高悪性度のがんほど発見しにくいこと」「過剰診断(放置しても進行しないがんも検出すること)」などを指摘。重要なのは高悪性度がんの死亡率を下げることであり、そのために早期に介入可能な治療法が必要だと話します。実際、有効な介入法がある大腸がんでは死亡率が減少している一方、早期の介入方法がない卵巣がんでは死亡率の有意な低下が認められていないといいます。
「いわゆるキラキラしたイノベーション実装させるには、社会的イノベーションという周辺のイノベーションがいくつも必要となる。両方がそろわなければ、社会に対する価値を生み出せないし、市場価値もついていかない。社会的イノベーションを最初から考える必要がある」と加藤氏は話します。低侵襲というリキッドバイオプシーの強みを生かすには、治療法の充実も欠かせません。