製薬業界のプレイヤーとして存在感を高めるベンチャー。注目ベンチャーの経営者を訪ね、創業のきっかけや事業にかける想い、今後の展望などを語ってもらいます。
浦田泰生(うらた・やすお)京都薬科大大学院薬学研究科卒。小野薬品工業を経て、1994年に日本たばこ産業(JT)に入社。抗HIV薬「ビラセプト」やがん領域の研究開発に携わり、同社の研究企画部長や研究開発企画部長を歴任。2004年にオンコリスバイオファーマを創業。 |
「『ウイルスなんて薬になるわけない』と皆言っていた」
――昨年4月、開発中の腫瘍溶解性ウイルス「テロメライシン」を中外製薬にライセンスアウトし、同時に「先駆け審査指定制度」の対象品目に指定されました。今年3月から中外が食道がんを対象に臨床第2相(P2)試験を行っています。
始まった途端に新型コロナウイルスの感染拡大があり、試験は遅れているようです。今、病院は新型コロナ対策にリソースを取られていて、治験を動かすのも難しい。体制自体はできているので、これから順次進んでいくと思いますが。
――中外への導出はオンコリスにとって非常に大きな出来事でした。
一時は「オンコリスは死んだ」とまで言われましたからね。本当なら上場して3年くらいでライセンスアウトしたかったけど、思い通りに行かずに苦しんで、やっと中外の窓口をこじ開けられた。それはもう感慨深かったですよ。肩の荷がやっと半分くらい下りました。
創業時、僕は岡山大学で当時助手をしていた藤原俊義教授(同大大学院・医歯薬学総合研究科)と約束したんです。「テロメライシンを医薬品にしよう、それまでは辞めないよ」と。ライセンスによって医薬品にできる道筋が見えてきた。藤原教授とは、次はそこまで一緒にやっていきましょうと話しています。
創業から10年以内にこうなるつもりだったけど、17年くらいかかってしまった。ここまで来るのは大変で、そもそも会社をつくるのから苦しかった。起業する前、会社の先輩にも相談したけど、10人中10人が「やめとけ、無理だ」と言う。当時はいわゆるケミカルの時代。「ウイルスなんて薬になるわけないじゃん」って、みんなそう言ってましたよ。
――そうした状況からライセンスを勝ち取るまでの経緯は。
テロメライシンの開発を15年以上続けてきて、たくさんの製薬企業に結果を持って声をかけて回ったけれど、当初、反応は良くなかった。2014年、15年くらいにようやく岡山大で行った食道がんの臨床データが出始めて、放射線療法との併用で食事をとれるまで回復する例も出てきた。ただ、10例くらいじゃ少なすぎてダメだった。中外も当時は「次のデータが出たら」という反応でした。
食道がんはマーケットも大きくないし、製薬企業はあまり狙わない。「食道がんで効いた」といっても、みんな考えてしまう。「開発費用がかさむんじゃないか」「カルタヘナ法の規制があって実用化が難しいんじゃないか」と。それはわれわれもわかってました。
だから実は、もうライセンスは半分あきらめようと思ったんです。自分たちでやろうと腹を括った。先駆け指定にチャレンジし、製造も販売も自分たちでやろうと考え、発売までの道筋を描いていました。そうしたら突然、中外から「ちょっと教えてくれ」と。
きっと向こうからすると、未知の部分が大きかったんでしょうね。情報を出したことで「これならできるんじゃないか」と思えたのだろう。カルタヘナ法についても、われわれのように何年も規制と対峙してきた者が対応を教えていくことでクリアできる。
「次は世界展開」
――テロメライシンの今後の開発方針は。
国内と台湾は中外にお任せしますが、われわれが狙っているのは、ほかに持病があったり高齢だったりという理由で手術に耐えられない人。対象患者は食道がん患者の1割にも満たないくらいですが、まずここに光を当て、いずれは食道がん患者の半分くらいがテロメライシンの適応になるように広げていきたい。
現在の食道がん治療は、化学放射線療法や手術が標準的。テロメライシンを使えばオペを減らせるんじゃないかというアイデアのもと開発を進めていて、われわれは抗PD-1抗体との併用試験もチャレンジしている。「手術なしでがんを治す」というのは、私が創業を考えたときに一番大切にしたところ。将来的には「食道がんならまずテロメライシン」という位置付けまで持っていきたいと思っています。
これまでテロメライシンは「腫瘍溶解性ウイルス」の枠から出られず、言ってしまえばキワモノ扱いされてきた。それはテロメライシンだけでなく、「イムリジック」(米アムジェン)のあと腫瘍溶解性ウイルスはみんな開発が難航している。テロメライシンは、食道がん治療薬としてのバリューをはっきり示し、腫瘍溶解性ウイルスというカテゴリから抜け出せたのが大きい。ウイルスだとか関係なく「テロメライシンは食道がんの治療薬」と言われるようになったら勝ちですね。
――国内でのライセンスアウトを達成した今、次のマイルストンはどこに置きますか。
世界展開ですね。日本と台湾を除く世界的な開発権はまだわれわれが持っている。米国では独自に治験を進めていて、それらのデータも踏まえて次の展開を考えたいです。
中外のバックにはロシュ(スイス)がいますが、もっと色々なものが見えてこないと中外もオプション権を行使しての世界展開には持っていきづらいと思う。エビデンスも含めて、中外が「テロメライシンはこんなふうに世界展開できますよ」と胸を張ってロシュに言えるようになれば、次の段階に進める可能性は高いと思っています。
――テロメライシンのプラットフォームとしては次世代型も開発していますが、こちらはどういった位置付けになりますか。
次世代型の「OBP-702」の構想は昔からありました。これは、テロメライシンの遺伝子の中にがん抑制遺伝子のp53を入れたもので、より強力な抗腫瘍効果を発揮する。テロメライシンではなかなか対象とすることができなかった膵臓がんや骨肉腫、卵巣がんなどを考えています。
肺がん、大腸がん、前立腺がんみたいにすでにいくつも選択肢があるところではなく、誰も狙わないようなところに入っていかなきゃベンチャーである意味がない。社是にも「研究開発の発火点は『いくら儲かるからではなく、どれだけの人を救えるか』にしよう」と掲げていますから。
「新型コロナにはワクチンと低分子薬の両方が必要」
――今年6月には新型コロナウイルス感染症治療薬の開発に着手すると発表しました。
新型コロナの治療薬は今回、鹿児島大学ヒトレトロウイルス学共同研究センター長の馬場昌範先生と共同で研究してきた化合物の1つがヒットして始めることになりました。
馬場先生とは20年以上組んでいて、僕がJTにいたころも抗HIV薬を一緒に開発し、日本を含む世界40カ国くらいで承認を取りました。僕は抗HIV薬の歴史をずっと見てきていますが、ウイルスが原因だと分かったのは1980年代で、40年近く経ってもワクチンの開発は成功していない。2007年にも米メルクが大規模試験に失敗しています。RNAウイルスのワクチンは難しい。
新型コロナも世界中でワクチンが開発されていますが、100%有効なわけではないし、全員が接種できるわけでもない。社会活動を回復させていくには、ワクチンと治療薬の両方が必要です。抗体医薬も開発されていますが、高額なのがネック。われわれが開発するのは低分子の抗ウイルス薬で、自宅で服用できる。低分子の抗ウイルス薬では米メルクが最終段階に入っているけど、変異や併用を考えると選択薬は複数ないといけない。その中の1つになりたいと思っています。
――開発の道筋は。
来年には臨床試験に入りたい。具体的に臨床試験をどこでやるのかは決まっていないけど、少なくとも日本ではやりにくいだろうと思っています。今のところ自社で開発を進めるつもりですが、最終段階の試験は大手と組んだほうがいいかもしれない。
抗ウイルス薬は投与期間が短いので、毒性試験も含めていろんな試験が短期間で済む。安全性はもちろん大事だけど、世界に早く届けることを最優先にしたい。
――がんと感染症という2本柱は今後も変わりませんか。
変わらないと思いますよ。ただ、抗HIV薬として開発していた「OBP-601」は、筋萎縮性側索硬化症(ALS)やアルツハイマー病といった神経変性疾患への効果を示唆する研究結果があって、ライセンス先が開発を進めている。その活動は見守っていきたいと思いますが、オンコリス自体が神経難病の会社になることはないでしょう。
自社のパイプラインは今5つくらいあって、その中でテロメライシンが1歩前に出た。残りの4つが全部うまく行くかはわからないから、少しずつパイプラインも増やさなきゃいけないし、テロメライシンの第2世代、第3世代も少しずつ臨床試験の段階に上げていく。この3年くらいで、そうした品揃えができてくると思います。
(聞き手・亀田真由)
AnswersNews編集部が製薬企業をレポート