血友病A治療薬の二重特異性抗体「ヘムライブラ」を世に送り出すなど、フロントランナーとして抗体医薬の開発をリードする中外製薬。12月9日、7年ぶりに開いた抗体改変技術に関する説明会で、スイッチ抗体技術や次世代バイスペシフィック抗体技術を披露しました。
「発明こそが価値を生む」
創薬研究は「発見」から「発明」の時代に進化している――。
12月9日、中外製薬が都内で開いた抗体改変技術に関する説明会で、同社の根津淳一研究本部長はこう強調しました。「かつては新たな分子や機能の発見が直接、医薬品につながる時代だったが、今はそれに発明が加わって初めて医薬品になる」といい、創薬アイデアやモダリティ技術といった発明こそが「医療上の価値を生む主体になる」と力説しました。
そんな発明が新薬として結実したのが、2017年の米国を皮切りに世界各国で市場投入した血友病A治療薬「ヘムライブラ」です。同薬は、2つの抗原結合部位がそれぞれ異なる抗原に結合するバイスペシフィック抗体(二重特異性抗体)。血液凝固第IXa因子と第X因子に結合することによって、血友病A患者で欠損する第VIII因子の機能を代替します。
ヘムライブラ 早くもブロックバスターに
そのアイデアもさることながら、実用化には中外独自の生産技術も大きな役割を果たしました。バイスペシフィック抗体を普通に製造しようとすると、重鎖と軽鎖の組み合わせによって10通りの抗体ができますが、中外は2つの重鎖に対して軽鎖を共通化することで組み合わせを3種類まで減らした上で、目的のバイスペシフィック抗体を優先的に産生させる技術を開発。効率的な製造法の確立によって工業生産を可能にしました。
スイス・ロシュの決算発表によると、ヘムライブラの今年の売上高は9月までで9億2100万スイスフラン(約1022億円)に達し、ブロックバスターに成長。ピーク時の世界売上高は年間数千億円規模になるとみられています。05年に国産初の抗体医薬として発売した抗IL-6受容体抗体「アクテムラ」も18年に世界で2400億円余りを売り上げました。
「スイッチ抗体」2020年に臨床入り
9日の説明会では、シンガポールの研究子会社「中外ファーマボディ・リサーチ」の井川智之CEO兼リサーチヘッドが、▽リサイクリング抗体▽スイーピング抗体▽スイッチ抗体▽次世代バイスペシフィック抗体――の4つの抗体改変技術について説明しました。中でも質疑応答も含めて最も多くの時間が割かれたのが、疾患部位だけで標的抗原に結合する「スイッチ抗体」の技術。2020年には1つ目のスイッチ抗体が臨床試験に進む予定で、ほかにも6品目が研究段階にあります。
抗体医薬は標的分子への高い選択性が特徴ですが、課題として残されているのが、疾患部位以外に存在する標的分子に結合することによって引き起こされる毒性(オンターゲット毒性)です。例えば、大腸がんなどで多く発現するEGFR(上皮成長因子受容体)は正常な皮膚組織にも存在しており、これを阻害することで重篤な皮膚の副作用が問題になります。
オンターゲット毒性を抑制
スイッチ抗体は、腫瘍特異的な低分子代謝物が高濃度で存在する状況でのみ抗原に結合するようデザインされています。がんの微小環境ではがん細胞から細胞内ATP(アデノシン3リン酸)が放出されており、中外は抗原結合部位の先端にATPがはまるポケットを持った抗体を開発。ATPは抗体と抗原の間に挟まれることでスイッチとしての役割を果たし、ATPがなければ抗体は抗原に結合することができません。
実際、マウスを使った試験では、スイッチ抗体は通常の抗体と同じように腫瘍組織に分布する一方、腫瘍組織以外にはほとんど分布しないことを確認。従来は「抗体が抗原に結合してしまう以上、避けられないものと考えられていた」(井川氏)オンターゲット毒性を克服できる可能性が示されました。井川氏はスイッチ抗体を使うことで「従来の抗体では狙うことができなかった標的に対する創薬が可能になる」と強調。ATP以外の低分子代謝物にも適用できるといい、「がんはもちろん、がん以外の疾患にも幅広く活用できる」と話しました。
「リサイクリング抗体」は承認間近
スイッチ抗体以外の技術では、抗原に繰り返し結合できる「リサイクリング抗体」が視神経脊髄炎スペクトラム治療薬サトラリズマブ(開発コード・SA237)として日米欧で申請中。発作性夜間ヘモグロビン尿症治療薬crovalimab(SKY59)が臨床第1/2相(P1/2)試験を、子宮内膜症治療薬「AMY109」がP1試験を行っています。
可溶性抗原を血中から除去する「スイーピング抗体」では、神経筋疾患を対象とした「GYM329」がP1試験を実施中。潜在型ミオスタチン(骨格筋から分泌され、筋肉の成長を抑制するミオスタチンに活性化するタンパク質)を阻害することで筋力低下の進行抑制を目指す薬剤で、カニクイザルを使った試験では血漿中の潜在型ミオスタチン濃度を1000倍以上低下することに成功したといいます。
ヘムライブラを生んだバイスペイフィク抗体技術の改良も進めており、現在、T細胞リダイレクティング抗体「ERY974」と、次世代のヘムライブラと位置付ける「NXT007」のP1試験を実施中です。
ERY974は、がん細胞のグリピカン3とT細胞のCD3に結合するバイスペシフィック抗体で、がん細胞にT細胞を誘導することで抗腫瘍効果を発揮します。中外はグリピカン3以外の腫瘍抗原に対する抗CD3バイスペシフィック抗体の研究を進めているほか、腫瘍抗原/CD3バイスペシフィック抗体と腫瘍抗原/CD137バイスペシフィック抗体の併用によってより強力にT細胞を活性化させる治療も研究中。安全性を向上させるため、スイッチ抗体技術を組み合わせることも研究しています。
次世代ヘムライブラも臨床段階に
NXT007はヘムライブラと同じ抗血液凝固第IXa/X因子バイスペシフィック抗体ですが、ヘムライブラが工業生産を容易にするために軽鎖を共通化したのに対し、NXT007は軽鎖が共通でなくても効率的に目的とするバイスペシフィック抗体を製造できる新開発の技術を適用。2つの軽鎖にそれぞれエンジニアリングを行うことが可能となり、より複雑な作用機序を持ったバイスペシフィック抗体がつくれるようになるといいます。
NXT007では、この技術を使って可変領域を最適化することで活性を増強し、健康な人と同じレベルの血液凝固能を目指すほか、抗体の半減期を延長する別の技術によって投与の頻度を減らすことを目標としています。
モダリティとしてはコモディティ化も進みつある抗体医薬ですが、中外の小坂達朗社長CEOは今年4月に行ったAnswersNewsのインタビューで「抗体にはまだまだチャンスがある」と語っていました。新規抗体の創製を担う中外ファーマボディ・リサーチは2026年まで5年間の活動延長と約226億円の追加投資が決まっており、井川氏は説明会で「新しい技術によって、狙える標的分子の範囲は拡張し、これまでにない作用機序を実現することができる。創薬の幅はますます広がっていく」と強調。12年12月以来7年ぶりとなった中外の技術説明会は、抗体医薬のさらなる可能性を感じさせるものとなりました。
(前田雄樹)