抗菌薬が効かない「薬剤耐性菌」をめぐる問題に注目が高まっています。
WHO(世界保健機関)は2月、新たな抗菌薬開発の緊急性が高い薬剤耐性菌のリストを初めて公表。“スーパー耐性菌”“悪夢の耐性菌”と呼ばれるカルバペネム耐性腸内細菌科細菌など12種類を挙げ「治療の選択肢が急速になくなっている」と官民連携による新規抗菌薬の開発を呼びかけました。
日本でも昨年、政府が耐性菌対策のアクションプランを策定。抗菌薬の使用量の削減目標を定めるとともに、新規抗菌薬の開発に対する支援策の検討も盛り込まれました。
INDEX
カルバペネム耐性腸内細菌科細菌など「緊急性重大」
WHO(世界保健機関)は2月27日、抗菌薬が効かない薬剤耐性菌の中でも「人類の健康に最も大きな影響を与える」として、新たな抗菌薬開発の緊急性が高い薬剤耐性菌12種類のリストを公表しました。WHOがこうしたリストを公表したのは今回が初めて。「薬剤耐性菌が増えており、治療の選択肢が急速になくなっている」と、新たな抗菌薬開発の必要性を訴えました。
リストアップされた12の細菌は、新規抗菌薬開発の緊急性に応じて3つの段階に分類されています。
最も緊急性の高い「重大」の区分には、カルバペネム耐性のアシネトバクターと緑膿菌、腸内細菌科細菌の3種類が分類されました。
「メロペン」(メロペネム)や「フィニバックス」(ドリペネム)などのカルバペネム系抗菌薬は、グラム陽性菌からグラム陰性菌、嫌気性菌まで広く抗菌作用を示す抗菌薬の「切り札」的存在。それだけに耐性菌の治療は難しく、現在、医療機関で最も問題とっている耐性菌の1つです。昨年11月には久留米大病院(福岡県久留米市)で、“スーパー耐性菌”と呼ばれるカルバペネム耐性腸内細菌科細菌(CRE)に入院患者4人が感染。うち1人が死亡しました。
2番目の「高」に分類されたのは、メチシリンやバンコマイシンに耐性の黄色ブドウ球菌や、フルオロキノロン耐性サルモネラ菌など6種類。3番目の「中」には、ペニシリン非感受性肺炎レンサ球菌など3種類が分類されました。
「2050年に死者1000万人」予測も
薬剤耐性菌の広がりは深刻です。英国の研究チームによれば、現在、耐性菌によって世界で年間70万人が死亡していると推定され、効果的な対策を講じなければ、年間死者数は2050年には1000万人まで増えると予測されています。
日本も例外ではありません。WHOが2014年に発表した報告書によると、代表的な細菌の日本での薬剤耐性率は、カルバペネム耐性緑膿菌が17%、第3世代セファロスポリン耐性大腸菌が18%、ペニシリン耐性肺炎球菌が48%、メチシリン耐性黄色ブドウ球菌が51%。前の2つは諸外国と同じか低い水準ですが、後の2つは海外と比べてもかなり高い水準にあります。
世界中で特に深刻な問題となっているCREの耐性率は0.1~0.2%と低い水準を保っているものの、国立感染症研究所によると、2015年に全国の医療機関から届け出のあったCRE感染症は1669人。このうち59人(3.5%)は報告時点ですでに死亡していました。
急速にしぼんだ抗菌薬開発
薬剤耐性菌との戦いには、感染予防や耐性菌の発生動向の監視、抗菌薬の適正使用とともに、新たな抗菌薬の開発が欠かせません。しかし、抗菌薬の開発は1980年代を境に急速にしぼみ、90年代以降は新しいクラスの抗菌薬は登場していません。
抗菌薬の開発縮小には、製薬会社が生活習慣病などの慢性疾患や、がん、中枢神経系疾患など、より高い収益性が見込める疾患に開発のターゲットを移してきたことが背景にあると言われています。
新薬の開発には莫大な費用がかかりますが、抗菌薬の投与期間は数日から数週間と慢性疾患の治療薬に比べて短く、新たに開発された抗菌薬には耐性菌を生まないために使用上の制限がかけられるため、利益に結びつきにくいという側面があります。
いわば抗菌薬は、製薬企業にとって“うまみ”の少ない分野。日本化学療法学会や日本感染症学会など関係6学会は、2014年に発表した抗菌薬の開発促進に向けた提言で「企業がビジネスの原理で動かなければいけないのは明白の事実。この点で、成人病治療薬に比べて収益性の低い抗菌薬の開発は、製薬企業にとって研究開発を続けるのが難しいテーマの1つになっている」と指摘しました。
市場の力だけに任せていれば、緊急性の高い抗菌薬の開発は間に合わない――。WHOの保健システム・イノベーション分野の事務局長補を務めるマリー・ポール・キニー氏はこう強調。WHOは資金を提供する公的機関と研究開発投資を行う民間企業が連携して抗菌薬の研究開発を行うための政策を各国政府に呼びかけています。
米国では特許期間延長 日本も審査期間短縮を検討
薬剤耐性菌の広がりを受けて、新規抗菌薬の開発促進に向けた動きが始まっています。
米国では2011年に「抗菌薬創出インセンティブ付与法(GAIN=Generating Antibiotic Incentives NOW)」と呼ばれる法律が制定されました。画期的な感染症治療薬に5年間の特許期間の延長を認めることが柱で、承認審査の迅速化などが盛り込まれています。2020年までに10の新しい抗菌薬を開発することを目標に掲げ、「10×2020」を合言葉に産官学の連携が進められています。
日本政府が昨年策定した薬剤耐性対策のアクションプランにも、新規抗菌薬の開発促進策が盛り込まれました。厚生労働省は、薬剤耐性菌に対する新薬の審査期間の目標を通常の12カ月から9カ月に短縮する方向で検討。アクションプランには、市場性の低い薬剤耐性感染症の開発を促進するため、GAIN法なども参考に支援策を検討することも明記されています。
日本化学療法学会は、関連学会などとも協力して、新規抗菌薬の創出策を議論する委員会を発足。日本版GAIN法の制定を求めるとともに、抗菌薬の薬価や産学連携のあり方について議論を進めています。
日本の製薬企業は過去、クラリスロマイシンやレボフロキサシン、メロペネムなど世界で標準的に使用される抗菌薬を数多く開発してきました。最近、グラム陰性多剤耐性菌感染症に対する切り札として注目されているコリスチンも、日本企業が開発したものです。
「日本の抗菌薬開発に関する技術・知識・リソースをどのように未来につなげていくか、産官学の連携・協力による大きなチャレンジともいえるプロジェクトを進める時だ」。日本化学療法学会など関係学会は、産官学連携による取り組みの重要性を訴えています。
国際協調も重要です。薬剤耐性の問題は昨年9月のG7神戸保健大臣会合でも主要な議題の1つとなりました。採択された共同宣言「神戸コミュニケ」は、共通ガイドラインの策定など新たな抗菌薬の開発を促進するよう規制の調和を図ることや、国際的な臨床研究ネットワークを設立することなどに言及しています。
適正使用 取り組みに政府本腰
新たな抗菌薬の開発が待たれる一方、重要なのが抗菌薬の適正使用です。
政府のアクションプランでは、2020年までに1日あたりの抗菌薬の使用量を2013年の3分の2に削減するとの目標が掲げられました。特に経口のセファスロポリン系薬とフルオロキノロン系薬、マクロライド系薬の使用量は50%削減。主な細菌の耐性率を低下させる方針です。
抗菌薬の適正使用に向けて厚生労働省は、感冒(一般的な風邪)には抗菌薬を使用しないことを推奨するなどとした医師向けの手引きを作成。患者に抗菌薬が不要なことを理解してもらうための説明のポイントなども盛り込みました。
耐性菌は、抗菌薬を必要以上に使ったり、菌が体内に残っているのに途中で服用をやめたりするなど、不適切な使い方をすることで生じます。耐性菌は社会全体の問題です。克服には、行政や医療従事者、製薬企業だけでなく、国民一人一人の理解と協力が欠かせません。